擬的表現論
横尾忠則は死を擬態する。横尾芸術を貫く、本来一回的な死の遅延作業は彼がまだ幼い頃、養子先の年老いた母に負ぶわれて、一命を取り留めた台風による洪水経験に由来している。それは彼の芸術的生そのものを規定しつづける、根源的な死を偽装し、シミュレーション(模造)する死生観であると書くのは批評家の浅田彰であるが、問題は死と擬態(偽装、模造)、あるいは「ギ」という音との直感的な接続である。その音は多くの場合、否定的なニュアンスを帯びて使われる。例えば、昨今の日本を騒がせる社会問題といえば、食品「偽装」、不倫「疑惑」等がいくつも想像される。同じように「擬」もまたまがいものや偽物、低俗などの否定的な意味合いで使われる。かつて、キッチュの滑稽さを誇張し、自己開示する姿勢をキャンプと呼んだのは批評家のスーザン・ソンタグであったが、アメリカ(ポップアート)を擬態するとともに、死を擬態する、横尾のポスターデザインが大衆を魅了してきた事実は、戦後日本文化全体がおかれた、あるねじれた状況の一端の表れであろう。美的であるより、擬的であること。ただし、筆者が主眼にするのは、アメリカと日本に引き裂かれた分裂症(対極主義)的状況ではない。そうではなく、むしろ浅田が横尾にみるような「擬的」表現論としての戦後、日本文化史の分析である。
はじめに擬的なものを二つに分ける必要があるだろう。一つは対象としての擬的なもの。二つに作者自身が別のものに擬態する擬的なもの。まずは前者であるが、それが日本文化ないしは日本美術の核心だとしたら、その伝統はどこにまで遡ることができるだろうか。日本の風土論の名著とされる『風土の日本』の作者オギュスタン・ベルクは桂離宮に代表される日本式庭園には、自然らしくあるために高度な作庭技術が用いられていることを指摘している。興味深いのは、日本の庭園は自然に対立し、支配さえする人工世界を創作するのではないが、かといって、自然と一体化するのでもなく、「自然らしいもの」を生成させる点である。つまり、こう言ってよければ、日本式庭園とは自然らしい庭園=擬・自然の創作物なのである。ここで京都学派、西田幾多郎の『善の研究』に高名な「主客未分」の主体像を想起してもよいが、「らしくあること」=擬的であることこそが、ベルクの指摘する日本式庭園の本質であることを踏まえれば、日本式庭園の場合は自然と庭園とが完全に一体化する未分の状態を追求しているのではないと理解することができる。すなわち、自然支配、あるいは自然との一体化でもない、自然への「擬態」こそ、日本式庭園のみならず、主客未分の意味を少なからず修正する、日本人の主体像と考えられるのだ。
だとすれば、擬的な対象とは単なる写実主義や自然主義ではありえないだろう。例えば、エミール・ゾラの客観的な観察をもとにした、自然主義文学の影響下にありながら、田山花袋『蒲団』がすでに柳田国男に批判されたように、作家の内面主義的な表現へと傾斜し、やがては私小説へと矮小化されてしまったこと。また、その柳田さえ、自然主義に徹したように思われる彼の民俗学的な民家研究の学問的実践、これもまた弟子の今和次郎によって、結局のところ柳田は「目に見えないもの」の透視を望んでいる点で、内面主義的な自然主義として批判とまではいかないが、手法の違いを指摘されることになった。では、その今和次郎が関東大震災の焼け野原に立ち並ぶ、素人たちのバラックを装飾しながら、観察したところに始まった「考現学」的な視点は、「目に見えるもの」だけを対象とした自然主義の徹底なのか。おそらくそうではない。なぜなら、のちに赤瀬川原平の「路上観察」へのひきつがれる都市を遊歩する「考現学」の手法を、当時の川端康成はその「作家性」の高さにおいて評価しているからだ。(実際に、川端は今とともに考現学を始めた吉田謙吉にその即興的なスケッチの作家性の高さゆえに自身の小説の表紙を頼んだこともあった。)何より、考現学はそのはじまりから、擬的ものの観察から始まっていることに注目すべきである。今が考現学者として初めに目を向けた対象は藤森照信編の『考現学入門』の初めにあるように偶然に出会った、田舎のブリキ屋の作った『カリガリ博士の長持』以来有名になった表現派のガス灯、表現派の装飾のシンボル、ロココの装飾的な自由さを放っていた作品である。「万事がプリミティブで、また伝統を食べた口ばたのよごれもある」ものの、その西洋風に外形だけを整えたまさに擬的なガス・ランプ灯に感動を覚えたことを記録している。これは生活に即した土着的で機能主義的な家、道具への関心ではないだろう。今が東京美術学校の図案科出身であることと、この擬的なものへの感動は、彼のデザイン観を裏打ちされた感性かもしれない。いずれにせよ、そのテキストを書いた、翌年に関東大震災が起き、この擬的なものへの関心が、震災後のバラック調査へと移行することになったのだ。
考現学の手法は、いまや社会学などの学問的な派生だけでなく、半ば趣味的なフォロワーを多く生み、雑誌等において「〇〇考現学」という特集は一般化しているが、よく知られる通り、そのフォロワーへの影響の大きさから言っても、1970年代から始められる赤瀬川原平の「路上観察」を外すことはできないだろう。震災後のゼロから現代に至る帝都東京が生まれる時期に考現学を始めた今に対して、赤瀬川は高度経済成長によって、新築されるビル群の間に、かつての機能を失ったがゆえに、都市の無意識を表出させる物件を写真に撮る路上観察を始めた。第一号の斜めから撮られた四谷の「純粋階段」の写真が有名である。機能という内実を喪失し、外形だけを留めた都市の装飾物としての擬的なもの=無用の長物「トマソン」探しは、爆発的に全国にフォロワーを生み出した。もちろん、「路上観察学会」やその他の活動は赤瀬川の超芸術から堕落した単なる趣味的なアマチュア文化であると批判の対象にもなりうる。しかし、今和次郎-赤瀬川原平の功績は擬的なものの観察と記録を通して、一個人の作家性というよりも、無数のアマチュア群を肯定的に生み出したことにある。また、都市の無意識を拾い集めた彼らの活動の場所をそのままネット空間に移し、キャラクターに宿る無意識を量的に収集・作品化するのが、2000年代に入ってからの一部の若手美術家の特徴として挙げられるだろう。その手前にあるかもしれない、美術評論家の千葉茂夫が「擬・建築」と名指した川俣正のインスタレーションとの親和性を横目にしながら、川俣のように、一種の文化祭的空間を美術館内に生成させる、カオスラウンジらが主なモティーフとするアニメキャラクター、より正確にはキャラクター文化を支える二次創作、n次創作と呼ばれる、日本独自の消費=創作環境に現代における擬的なものへの美的な関心が見て取ることができるはずである。本家のオリジナルキャラクターから派生した無数のn次創作されたキャラクターは擬的表現そのものである一方で、ここではその受容環境に目を向けてみても、社会学者の濱野智史の指摘するニコニコ動画のコメントにおける「擬」似同期が生じている点が興味深い。つまり、そこでは対象としての擬的な表現を通して、擬的な共同体が生成されているのだ。
次に、作者自身の擬態である。横尾が死に擬態するように、日本文化は擬態する。「日本景」シリーズは作者の大竹伸朗が、日本の地方都市をまわり、その風景の均一さとそれを観察する主体自体の風景化という実感に基づいて制作された作品群である。再び、オギュスタン・ベルクを参照すれば、彼のいう「実景」が参考になる。「実景」とは風景とそれに不可分であったはずの風土が切り離されてしまう状態を指しており、それは社会科学の知見によれば、自分自身の内部でも同様に起こり、自分自身すらも認識される風景と化してしまう状態である。そこではもはや外的な風景と自分自身との見分けはつかなくなってしまうのだ。また論文「擬態と伝説的精神」において「擬態」の最終目的は「環境への同化」であり、その周囲環境に同化することで、自らの感覚を喪失する「精神衰弱」患者との類似性を指摘したロジェ・カイヨワ風に言えば、それは自らの感覚を喪失した精神衰弱患者と類似した主体である。感覚の麻痺とともに、主体と客体という西洋近代的な二元論の間で宙吊りされてしまう主体。まさに「日本景」とはそのような実感に動機付けられている。このような作家の姿勢は美術評論家、椹木野衣が『日本・現代・美術』より一貫して主張する、「判断留保」し、「認識」する、悪い場所における作家像と正確に重なるものであるし、さらには文芸評論家、福嶋亮大が日本文学の基底に置く、旅人的視点とも共鳴するものである。また、このような還元主義的な主体の具体例として、『震美術論』では事前=事後を神話的想像力で作品化する作家と言い換えられている。付言すれば、そこで展開される事前と事後を内包する時間に生きることの再認とは社会学者の大澤真幸が「世界史の哲学」において、最後の審判の反復による、予定説と資本主義の親和性を事前と事後の二つの視点の両立にあると指摘することにぴったりと重なる。地球という下部構造の上に成立する上部構造としての政治経済という見立てを採用するならば、大澤は上部構造(資本主義)における事前=事前を、椹木は下部構造(地殻活動)における事前=事後を図らずも指摘していると言えるだろう。興味深くかつ、普遍的な人間の時間認識についての分析である。そして、椹木の場合は、原理的に地殻活動がもっとも先鋭的に露呈する空間としての日本列島の状況を、赤瀬川原平や東松照明、岡本太郎の対極主義や藤田嗣治、村上隆のスーパーフラットに仮託しており、『日本・現代・美術』では日本特殊論、『震美術論』では惑星特殊論と、ある場所に成立する美術を同一的に語ろうする、二つの意味(スーパーフラットな文化状況であること、さらには同じ惑星上に生きていること)での「同一性の哲学」が貫かれている。
しかし、風景への同化や対象への擬態とは常に失敗に終わるものではないだろうか。例えば、ギヨーム・アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」に代表される、壁への瞬時の一体化によって追ってから逃れるという探偵小説はいくらでもあるが、その身体の壁との一体化のほとんどが第三者、探偵によって、見破られ、失敗に終わるところに小説としての面白みがある。というより、原理的にいって、擬態とは一時的なものであり、仮に永遠に擬態してしまえば、読者はそれを単なる壁と認識するしかなくなってしまう。環境への同化=自己の喪失という状況そのものを対象化することは、それが永遠のものでない限り、どこかで失敗に終わるはずなのである。その意味で「日本景」は現在という時間につよく拘束された作品であると言わざるをえないだろう。作家が風景ではなく、作家主体である限りにおいて、その擬態は一時的なものであり、その擬態が溶ける瞬間に訪れる失敗の効用こそ、風景を描写する主体としての作家に求められているのだ。失敗の機運を効用として捉えること。思い返せば、アンディ・ウォーホルが大衆的イメージとしての死を反復するのに対して、横尾忠則が自らの死を何度も擬態する理由は、常に失敗し続けるからであった。盟友の三島由紀夫のように一発で仕留める死とは対極的である。横尾を自らの死を反復する。大竹の「日本景」が失敗の機運を喪失しているとすれば、同じように風景へと擬態することで、自己を喪失し、死したかと思えば、その企みは失敗に終わり、自らの延命に成功してしまうことが横尾の死への擬態である。これは横尾特殊論ではないはずだが、そのような作品が美術の領域においてどれほど制作されただろうか。
確かに、おそらく一つ目の対象としての擬的なものよりも、二つ目の作家自身の擬態による擬的なものの方が困難な表現である。しかし、その両者が、それぞれの対象と作家の間に独自な関係性を結ぶことによって、判断留保する主体=「同一性の哲学」をその失敗の効用の繰り返しのうちに差異化する、「擬的表現論」としての日本美術史が書かれうる隙が開かれるはずなのである。
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<参考文献>
・オギュスタン・ベルク『風土の日本』篠田勝英訳、筑摩書房、1992年
・椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年
・『豊島横尾館ハンドブック』福武財団、2014年
(批評再生塾初出)