よわいめ|ヨワイメ

同時代カルチャーをレビューするブログ

2017-01-01から1年間の記事一覧

<ゲンロン カオス*ラウンジ新芸術校>グループC『完全なる仮説』展レビュー

ラディカルな仮説のために 新芸術校一期弓指寛治、二期磯村暖。二人は、別々の仕方で、世界への鋭敏さを兼ね備えていた。思えば、当然のように、鑑賞者はどこかで、芸術作品に日常の平準化した世界認識に対する先制第一撃を期待している。仮説とはまさにその…

21世紀の映像は記憶能力を必要としない—田中功起「Grace」にみる反復とリアルタイム性について—

21世紀における、インターネットの普及とモバイル化を通した全地球的な情報発信/受信のネットワーク化は、リアルタイム性に対する私達の欲望を常時的に駆動させている。具体的に芸術の領域においては、作家と作品の各主体性がリアルタイムという限定的な時制…

新芸術校グループB『健康な街』展

「健康な街」と題された本展は「健康」と「街」についての秀逸なステイトメントを読むことができる。が、残念ながら、実際の作品との関連を見つけることは難しい。唯一、その中でも「健康」というテーマを正面から扱った作品が下山由貴の「健康意識」である…

コンバインする演劇-チェルフィッチュ論に代えて

チェルフィッチュに特有の演劇手法は様々な形で評価され、形容されてきた。平田オリザの現代口語演劇をさらに偏執狂的にまで徹底したという「超現代口語演劇」はその代表であろう。時を少し前後して、村上隆が提起したスーパーフラット(=超平面)という言…

新芸術校グループA「其コは此コ」展

いきなり本題に入る。というのも実際の展示がそうなっているからである。胎内を思わせる龍村景一の暗室とよひえの個室トイレにおいて、私たちは二度、誕生する。初めに黒いカーテンをめくり入る暗室。裸の男が海へと飛び込む瞬間を何度もループし複数化する…

擬的表現論

横尾忠則は死を擬態する。横尾芸術を貫く、本来一回的な死の遅延作業は彼がまだ幼い頃、養子先の年老いた母に負ぶわれて、一命を取り留めた台風による洪水経験に由来している。それは彼の芸術的生そのものを規定しつづける、根源的な死を偽装し、シミュレー…

ポップなき時代にポップを探して

本書はポップなき時代のポップの意味について、美術の領域から迫っていくことを目的としている。 第1章 ネオポップとマイクロポップの時代————————————————————————————————————- ——————–ポップなきポップ——————– かつてこの国には、ポップカルチャーが存在…

近代絵画を成立させる精神の根源にまで遡るとすれば、シャルル・ボードレールの定義するモデルニテを体現したエドゥアール・マネ、燕尾服の喪に近代を見たギュスターブ・クールベ、あるいはロココ期、貴族の遊び場に大衆扇動を喚起するアンソールの仮面の浮…

「この世界の片隅に」論-ゴッホのミスリード

1.空襲シーン 昭和20年3月19日、呉、空襲。対空砲火がすずさんの上空で炸裂。すぐさまに色彩豊かな爆発は絵の具のタッチに変わり、視界は美しい絵画空間へと変貌します。現実と絵画空間の重ね合わせ。細馬宏通はこの場面を空襲と想像力という明確な対比によ…

Practice for a Revolution-擬態する坂口恭平

坂口恭平と坂口真理夫(マリオ)は別人だろうか。坂口真理夫とは母親によって却下された第二案、もう一人の坂口恭平の名である。躁鬱病である坂口の経験する躁と鬱が切り離せないように、恭平と真理夫も切り離すことができない。予告された殺人よろしく、坂…

青と黒と透明 - 最果タヒの色彩感覚をめぐって

「瞳の中に暮らすことが、恋することだ、恋されることだ。」 (最果タヒ×今日マチ子「ライフ・イン・マイ・ヘッド」) 「夜空はいつでも最高密度の青色だ」。多くの読者あるいは論者はそれを青色であると思っている。なぜなら、その言葉が「青色の詩」のうち…

モランディ、岡田温司講演、兵庫県立美、メモ

磨製石器のような上部の窪んだ白い板が示される。シャーラーという写真家が撮ったモランディのパレットである。わずかな濃淡を持つ白と縁部には赤と青がくすんでいる。限られた色彩とフレスコ画にも用いられる顔料の作り上げる芸術。ピカソよりも少し若いそ…