よわいめ|ヨワイメ

同時代カルチャーをレビューするブログ

11月1日のいろいろ。

起床。肩甲骨の裏あたりを寝違えたのか、捻挫した時のような痛みがある。満員電車に揺られ、インターンへ。車内で、昨日の深夜に届いた「ロカスト 岐阜・美濃特集」のデザイン案を見ながら、誤字脱字などないか探す。はっきり言って、デザイン素晴らしい。そもそもロカストは旅行誌を謳っている手前、デザインには力を入れてきたし、それは読者の方にも伝わっていると思う。しかし、今回は明らかに最高傑作だ。何より、デザインが生き生きしているし、自由な感じがするし、目が楽しい。旅行誌は目の雑誌で、批評誌は頭の雑誌だとすれば、ロカストは目と頭を同時に刺激する雑誌でなければならない。「岐阜・美濃特集」は、その理想に間違いなく近づいている気がする一冊だ。あとは、僕としては多様な沢山の方に手に届くように販促、営業をがんばりたいところ。(連絡いただければ、お取り置きしておきますよ。)で、インターンでは昨日集めた資料を読み込み、執筆予定の作家解説の概要を考えた。

f:id:kouminami:20191101204324p:image (今回、表紙はどうなるんだろう)

昨日に引き続き、某奨学金の応募書類を書く。なにせ平山郁夫奨学金のように急に向こうから降ってくるタイプのものしか貰ったことがないので、書き方に戸惑うが、とにかくアピっていくスタイルで、研究内容を書き終えた。とにかく某財団は領域横断性と社会的な問題意識が評価されそうなので、そのあたりを意識しつつ。というわけで、アピっているのは僕なのだけど、書簡集を読めば読むほど、スピってることが明らかになるのは、ベン・ニコルソンだ。彼がムーアがテニスするところを見て、駆り立てられる〈force〉を感じ取ったという「スポーツ的身体」への関心と抽象概念の繋がりについては以前にも書いたけど、それは要するに「見えない力」を幻視するというスピリチュアルな体験の一種とも言える。もちろん、モンドリアンしかり、抽象と宗教は切っても切り離せない関係にあるのは自明ではある。が、だとすれば、ニコルソンの場合のスピっている、その対象が激しい動作を伴う「スポーツ的身体」である理由は何であるのか、その点はモンドリアンらと比較して区別する必要があるだろう。と、こんなことはまさか応募書類には書いていないのだけど、いずれ研究内容にも反映させていきたいところだ。

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(ニコルソンと親交のあったポール・ナッシュ《Equivalents for the Megaliths》。ほとんどモランディ?)

とにかく、今月は金欠の幕開けなので、節制して生きていきたい。そして、ロカスト最新号が無事、刷り上げることを願いたい。