よわいめ|ヨワイメ

同時代カルチャーをレビューするブログ

10月29日のいろいろ。

ロカストの最新号にして最高傑作と言ってもたぶん大丈夫な「第3号:岐阜・美濃特集」が完成間近になってきた。あとはデザイン→著者チェック→印刷の過程を残すのみ。(1号で印刷ミスが大量発生したので、最後まで気は抜けない。)今回は一緒に旅行したゲストの方にもがっつり批評も書いてもらい、かつ企画自体も新しく増えて、さらにはデザインもフォーマットがどんどん弄られて変わったものになるようだ。3号目にして、ロカストのコンセプトが目に見える形で届けられる、そういう一冊になるのかもしれない。(とはいえ、まだ完成版を手にしてないので、確証はありませんが・・)

f:id:kouminami:20191029225927j:image(ロカスト1号、2号)
思えば、この夏、あいちトリエンナーレでアツく盛り上がった名古屋を経由して、観光地なのに観光客がいない岐阜市内をぶらぶらと10数名で観光したのは7月中旬のことだった。圧倒的な名古屋植民地感を感じながら、僕らはポスコロ的心情を内面化させていたのか、どうかはわからないけれど、岐阜旅行を満喫した。(旅行ルートについては、本誌で画家の中村さんに地図絵画を描いて頂いているので、そちらを参照されたい。)

2泊3日の旅程のなかで、僕は京アニ制作「聲の形」の聖地で知られる大垣市の資料館で遭遇した巨大な朝鮮通信使の模造品という珍展示に最も心を惹かれた。だいたい、旅行の醍醐味は、単なる事実が面白く感じられるということだ。歴史家の仕事は単なる事実が錬成される政治・社会・経済的背景を詳らかにして、事実の単一性を相対化する作業である。とすれば、旅行者は未来の歴史家だ。両国政府の政治的な思惑は180度すれ違っていたにもかかわらず、朝鮮通信使が江戸時代当時、どれほど日本?国民から愛され、ヨン様(古い?)ばりの歓迎を受けていたのか。「事実」は誰もいない展示室に埋まっていた。旅行者である僕はその受信者であったということだ。詳しくは論考に記したので、そちらを参照されたい。

f:id:kouminami:20191029230009j:image(江戸にはいる朝鮮通信使再現行列)

さて、これは日記だ。今日は雨だった。

昨日届いたベン・ニコルソンの未発表書簡を読み始めたのだけど、ニコルソンがヘンリー・ムーアとテニスをした話と彫刻における<force>を結びつけて書き付けていて、「抽象とスポーツ的身体」の関係という問題設定を思いついた。ニコルソンはやたらと生、力、エネルギー、フォースを強調する。彼の所属していたグループのほかの画家が傾倒していくシュルレアリスムにおける夢や無意識とも異なる、もっと形態的ではっきりとしたものがイメージされている。だから、のちに巨石文明にオマージュを捧げた彼のスピリチュアリズムは、モンドリアンとの共鳴があったように思う。スピリチュアリズムとスポーツ的身体(潜在的な力を生むムーブの連続)の接点にニコルソンがいる?

f:id:kouminami:20191029230408j:image(テニスに興じるベン・ニコルソン。なかなかの腕前だったとか)

帰り、神田駅で柿の種わさび味を買い、ぽりぽり食べながら、帰宅。