コンバインする演劇-チェルフィッチュ論に代えて(批評再生塾初出)

チェルフィッチュに特有の演劇手法は様々な形で評価され、形容されてきた。平田オリザの現代口語演劇をさらに偏執狂的にまで徹底したという「超現代口語演劇」はその代表であろう。時を少し前後して、村上隆が提起したスーパーフラット(=超平面)という言葉と同時代性があるのかはわからないが、モダン亡きあと、芸術家たちはとにかく過激に「超」である必要があったのかもしれない。ポストモダン演劇の突端に立つチェルフィッチュ演劇はその他に二つに形容分けすることができる。一つは初期作品に対する「キュビズム的」というものだ。それは観客側からの形容である。二つは、キュビズム演劇であることを引き受けた上で、その次なる一手として劇作家の岡田利規自身が名付けた「コンバイン・ペインティング的」演劇である。本論は、以上の二つの形容の意味の適切さと、チェルフィッチュ演劇における「コンバイン」概念の意味の更新を試みたい。

 幾度となく『三月の5日間』は「キュビズム的」と形容されてきた。それは一つに複数人の視点から同一の物語が語られるという意味では、のちに称される「移人称」の類語として考えてもいいし、映画でいえば、黒澤明羅生門」、吉田大八「桐島、部活やめるってよ」等での試行にも近い。しかし、これはキュビズムの本来的な意味からすれば、的外れな形容である。なぜなら、キュビズムには原理的に分解した外的諸要素の同一平面上における同時併置という前提が存在しているからである。つまり、上記の例は、いずれも演劇や映画という時間芸術における異時併置的な多視点の統一を指しているために、そもそもの初期条件がキュビズムとは異なっているのだ。

 それでは二つに『三月の5日間』特有の演者の言葉としぐさのズレ、あるいはダンスのようにも見える身体の諸動作はどうだろうか。こちらの方がキュビズムを思わせるところがある。実際に、初期作品や海外の観客はその身体動作にキュビズムを見出したという。しかし、そのズレの構成原理を考慮してみると、やはりキュビズムでは形容し得ない余剰を発見することになる。岡田利規自身の記述によれば、ある不定形なイメージをより抽象的には身体のしぐさで、やや限定的、具象的には言葉となって表現し、そのイメージを間接的に媒介とした言葉としぐさの抽象度の落差によって、独自のズレが生じている。あるいは批評家の佐々木敦によれば、その言葉としぐさは現実の人々の行っている、例えば、意味伝達においてはノイズになる諸動作を強調することで、本来演劇においては省略されるノイジーな人間のコミュニケーションの細部を意識化、対象化している。興味深い点は、岡田によれば、そのズレの生成において、のちに演者から観客のうちに立ち上がるものへとその位置を変えはするものの、徹底した「イメージ主義」ともいうべき意志が貫かれていることである。イメージをいかに持続させ、言葉としぐさに分節化しうるか。これはイメージの解体を企図するという基本的なキュビズムの姿勢とはむしろ逆行するような態度である。

 では『三月の5日間』がキュビズム的でないとしたら、それはどのような形容、正確には別なる芸術表現に代理表象することができるだろうか。キュビズムが海外の観客やトークゲストからの形容だったのに対して、岡田自身がその次なる一手として挙げた言葉が「コンバイン・ペインティング的」である。キュビズム同様にこれも20世紀を代表する芸術表現の一種である。よく知られるように、コンバイン・ペイティングとは戦後アメリカの美術家ロバート・ラウシェンバーグが始めた、絵画という二次元平面に日用品などを貼り付けることで、複数の異なる事物の統合(=combine)を図る作品の総称である。『遡行』によれば、コンバイン・ペインティング的な演劇を目指した最初の作品は『ゾウガメのソニックライフ』とあるが、そこで、岡田が試みようとした演劇とはどのようなものだったのだろうか。

「どうしたら、五人それぞれが、質の異なる際立ちをすることができるのか? 全員でひとつのハーモニーを、などといったことには全然顧慮しないで、各自がまるで唯我独尊とでもいったふうに、とにかくてんでんばらばらの仕方で強く存在し続ける。そしたらどんなものができるか?」(岡田利規『遡行 変形していくための演劇論』、河出書房新社、2013年、49頁)

 ここで、岡田がコンバイン・ペインティングに代理表象させているものの内実はバラバラなものがバラバラなまま同一空間に共存することを可能にする方法論である。つまり、先ほどまでの「ズレ」を諸要素の「非同期」の経験と換言するならば、非同期的な言葉としぐさもつ演者と他の演者との間の非同期的な関係性(=無関係性)の場を演出するためのラフスケッチとして、コンバイン・ペイティングを解釈しているのだ。さらには、この箇所の前後を参照する限り、当時の岡田自身は、おそらくキュビズムを演者内の非同期性を一つの身体を担保にして再構成する手法として、コンバイン・ペインティングをそのような演者同士の関係性が非同期的に再構成される空間の設定としてイメージしていたことがうかがえる。しかし、筆者の推測では、このような岡田の理解とは異なるコンバイン・ペイティング作品の持つ構造が、のちに『現在地』に顕在化するリアル/フィクションに対する態度に深く共鳴するものになっている。

 では、コンバイン・ペイテンィングとは何であったか。一つはその前史にあたる、アッサンブラージュキュビズムにおけるパピエコレのように、絵画(イメージ)を事物(リアル)化し、事物を絵画化するというメディウム同士の相互衝突のダイナミズムがある。これは歴史的な流れに沿うものである。二つは戦後アメリカ、高度消費社会において、イメージと生活の地位が逆転するシミュラークルを象徴するような、芸術と生活の過剰なコネクトがある。これは同時代的なものであり、一つ目のダダイズム的な反芸術とはむしろ正反対の動機でもある。このような時代や動機の差異はあれ、二つに共通する構図は、こう言い換えられる。コンバインとはフィクション(絵画、芸術)とリアル(事物、生活)を結びつける意であり、より正確にはフィクションをリアル化し、リアルをフィクション化することであると。ラウシェンバーグのコンバイン・ペインティングの作品そのものはその相互衝突を引き起こす場所として、顕在化されることになるのだ。したがって、リアルとフィクションのコンバインという意味からすれば、岡田のいう「コンバイン・ペインティング的演劇」とはバラバラな事物の同時併置ではなく、フィクションをリアル化し、リアルをフィクション化する相互衝突の場の設定と言い換えることが可能になるはずだ。つまり、リアルとフィクションの相互衝突(=combine)の場所の意識的な構築である。

 前段落までにおいて、キュビズム-コンバイン・ペインティングをズレ=非同期性から、演劇におけるリアルとフィクションの相互衝突ないし、統合の場と読み替えた。以下では、リアルとフィクションに論点を絞って、考えたい。

まず、リアルとフィクションの連続性については、山縣太一の言葉を参照してみたい。彼はあるインタビューにおいて、演劇の舞台とはフィクション=非常事態であり、そこでは「全方向的に引っ張られる」感覚を味わうことになると言っている。ただし、この経験は日常と演劇をはっきりと区分するものではないだろう。なぜなら、そのようなことは人と交流し社会の中で生活する限りにおいても、演劇空間ほどでないにしろ、経験するからだ。具体的には、人前に出た時に、汗が出たり、挙動不審になったりすることがある。引っ張られている=他方向的な緊張関係を結ぶからこそ、人は言い淀み、躓き、反復するのだ。差異は意識化の度合いだけである。言い換えれば、山縣における言葉としぐさを含めた身体動作とはフィクション的なリアルの様相の意識化のプロセスなのである。つまり、リアルな空間で起きていることの極端な意識化によって、立ち上がる空間こそがフィクショナルな舞台空間であるのだ。地続きに存在するリアルとフィクションはいまや、本来の意味においてコンバインされる。

ただし、リアルとフィクションの関係性は山縣が舞台上で全方向的な緊張感を意識化し、身体運動化していたことにとどまらない。

3.11後『現在地』に向かう中で、舞台上ではない場所で。

 岡田は『現在地』制作中に演者である山縣とは別の緊張を感じていた。それは放射能被害をめぐる暗黙の政治性の表明に関するものである。岡田は福島原発後、放射性物質漏れの影響を恐れて、神奈川県横須賀市から熊本県熊本市への移住をしたものの、都心を危険だとして離れた身にもかかわらず、稽古のために、首都圏を訪れる中で、自身と周囲の人に間に流れる、中ば政治的な対立に緊張感と極度の疲労感を覚えたという。この3.11後の岡田が実感する放射能被害に対する態度をめぐる緊張感は、筆者には初期より一貫された徹底したイメージ主義であったことと関連しているように思える。イメージ主義の方法論を演者に委ねるにせよ、観客にフォーカスするにせよ、岡田はイメージ主義を手放すことはなかったのだから。例えば、人々はにわかにイメージしがたい放射能被害という分子レベルよりはるかにミクロな出来事を「放射能」という言葉に一旦、変換することで、不安や不信の下にある、出来事を有限化しうるという安心の基盤を獲得していたと考えられる。この事態は言い換えれば、苦労なしにイメージが言葉に1対1対応、いや従属する関係を結んでいることを意味している。イメージしがたい不定形なものを「放射能」や「事故」という言葉によって有限化する暴力である。そして当然、このような暴力とは反対に、イメージの汲み取れなさを不自由な言葉としぐさで意識化してきたのが、チェルフィッチュであり、岡田の演劇であったことは前述したとおりである。

 だからこそ、岡田は首都圏、正確には言葉に従属するイメージの磁場から距離をとったのかもしれない。もちろん、勝手な対立図式を過度に強調することは避けなければならないだろう。しかし少なくともこうは言えるだろう。フィクションとリアルの境界線を揺るがせるような存在である「放射能的なるもの」を通して、リアルとフィクションをコンバインすること、山縣の身体と放射能的なものの演劇化こそが、リアルとフィクションを統合する、コンバイン・ペインティングであるということは。

 3.11の経験を経て、上演された『現在地』とはまさにそのような作品ではなかったか。

新芸術校Aグループ展「其コは此コ」

 

 いきなり本題に入る。というのも実際の展示がそうなっているからである。胎内を思わせる龍村景一の暗室とよひえの個室トイレにおいて、私たちは二度、誕生する。初めに黒いカーテンをめくり入る暗室。裸の男が海へと飛び込む瞬間を何度もループし複数化する映像は、海への飛び込みを遅延させ続け、最後に反響する「ポチャン」という音だけがその入水を知らせている。三途の川ではない海への入水は、古代、海から陸上へと生息地を広げた人類の祖先である生物の旅路を逆から辿る、いまここから生まれた場所への回帰、生まれ直しへの欲望である(龍村の前作、小学女児並みの言語能力を持つ人工知能を演じる《脳ん》にも通じる趣向であろう)。映像が終わると、文字どおりに鑑賞者はカーテンを開け、暗闇から懐かしい眩しさとともに裸の私として、本展に生まれ直し、再入場をすることになる。これが種の起源にまで遡る一つ目の誕生である。鑑賞者はそのまま右手に進むと即興風に線の踊る抽象装飾画に覆われた個室トイレという母なる胎内へと吸い込まれていく。暖かな色彩に包まれた風景をかつての私が見ていた母内の風景に重ね合わせると同時に、その聴覚は外側から聞こえる社会の剥き出しの音に晒されることで、すでにここが安全圏内でないことを直感する。母であると同時に、母でない可能性を予見する私。これが二つ目の母ならざる私の誕生である。

f:id:kouminami:20171023221005j:plain

f:id:kouminami:20171023221132j:plain


 二つの胎内から出産された赤ん坊はやがて少年となり、母をめぐる両義性-生まれた場所(其コ)といまいる場所(此コ)の埋められない溝を発見し、その深い悲しみの代わりに、今度は母-子ではない「友」を探し得る。それが友杉宣大の猫である。どこか遠い雪深い街で猫がソリを引き、テントで宿り、冒険を続ける物語を描きながら、ついに猫の眼球は宇宙へと反転し、夜空に輝くスターニャンに生成変化する。近しく親密的な猫と遠い街を仲介する星の導入ははっきりと「僕は猫である」と言う友杉の「此コは此コである」にも似た同語反復的な迷宮へと陥りかねない擬似的な自画像制作において、不思議な光明を招き入れる結果となっている。それは星の現存と少年の水晶体への光の到達が、ほとんど永遠と感じられるほどの時差を包含しているという事実である。つまり、スターニャンの登場は近しい猫と遠い街の空間的な遠近を時間的なもの(=時差)へと変換させたのである。光の到達が星の現存ではなく、不在をも同時に意味することを描くこと、それが猫の向こう側を見通す理路なのかもしれない。最新作において、残像のように薄く浮かび上がるスターニャンの表象はおそらく、その予兆であるはずだ。この視点からすれば、自分の居場所を掘り下げるたびに、反比例的に塗り重ねられる複数のメディウムのうちに、原始の生物形態がまさに化石発掘のように出現しつつあるよひえの抽象絵画は、友杉のスターニャンとは反対に、時間的な遠近を空間的なものに変換する作品であると言えるだろう。

f:id:kouminami:20171023221102j:plain

 この三作家の紡いだ誕生秘話を会場の一番奥で引き受ける壁画的な作品が中村紗千の《怪獣と迷宮》である。以前より、中村は友杉の猫との同一化へ向かう関係性の結び方とは異なり、親密感とも嫌悪感ともつかない関係を取り結んでしまう他者像を「流動的でモザイク状(=タイル)のかたまり」である「怪獣」に代えて描いてきた。本作においても、紙に墨で描かれた怪獣のアイコンが鑑賞者の視線を、マックス・エルンストを思わせる浴室のタイルを全面の基底としながらも、多数的な空間と錯綜した時間軸へと誘導している。その中でも新奇なモティーフである円状のレーン上の怪獣はなかばナメクジのようにゆっくりと進行している。中村の絵の時間は最初に目にした龍村のカチカチと切迫した映像とは対比的に「のろのろ」としているのだ。その遅さは迷宮に迷い込んだ人間の足取りの重さを思わせるところがある。ここでタイトルを思い出してみれば、その定義上、其コを此コに、此コを其コに、常に反転させ続ける特殊な空間である迷宮とは、本展の歪んだ時空間そのものであり、そこに迷い込んだ人間とは紛れもなく鑑賞者のことを指し示しているのではないか。だとすれば、私たちがのろのろとしたその足取りにあの「怪獣」の姿を重ね見ても不思議ではないだろう。こうして、二度の誕生を経て、猫という友を経た私たちは、中村の作品において、自らの鑑賞者としての主体像を顧みるのである。

f:id:kouminami:20171023221154j:plain

 最後に本展全体を通して見えてくるのは、四者四様に「未成熟さ」の問題系を扱っていることである。龍村は裸の再誕、よひえは子の誕生、友杉はフィクショナルな猫への同一化、中村はアイコン化した怪獣。言い換えれば、自らの主体(身体)像がどこかで未成熟で幼児的であることへの意識が色濃く反映された展示にも感じられたということだ。その意味において、作家自身の身体イメージがどこまで作品化されたのか、その判断によって本展の評価は下されるのではないだろうか。

擬的表現論(批評再生塾初出)

 横尾忠則は死を擬態する。横尾芸術を貫く、本来一回的な死の遅延作業は彼がまだ幼い頃、養子先の年老いた母に負ぶわれて、一命を取り留めた台風による洪水経験に由来している。それは彼の芸術的生そのものを規定しつづける、根源的な死を偽装し、シミュレーション(模造)する死生観であると書くのは批評家の浅田彰であるが、問題は死と擬態(偽装、模造)、あるいは「ギ」という音との直感的な接続である。その音は多くの場合、否定的なニュアンスを帯びて使われる。例えば、昨今の日本を騒がせる社会問題といえば、食品「偽装」、不倫「疑惑」等がいくつも想像される。同じように「擬」もまたまがいものや偽物、低俗などの否定的な意味合いで使われる。かつて、キッチュの滑稽さを誇張し、自己開示する姿勢をキャンプと呼んだのは批評家のスーザン・ソンタグであったが、アメリカ(ポップアート)を擬態するとともに、死を擬態する、横尾のポスターデザインが大衆を魅了してきた事実は、戦後日本文化全体がおかれた、あるねじれた状況の一端の表れであろう。美的であるより、擬的であること。ただし、筆者が主眼にするのは、アメリカと日本に引き裂かれた分裂症(対極主義)的状況ではない。そうではなく、むしろ浅田が横尾にみるような「擬的」表現論としての戦後、日本文化史の分析である。

 はじめに擬的なものを二つに分ける必要があるだろう。一つは対象としての擬的なもの。二つに作者自身が別のものに擬態する擬的なもの。まずは前者であるが、それが日本文化ないしは日本美術の核心だとしたら、その伝統はどこにまで遡ることができるだろうか。日本の風土論の名著とされる『風土の日本』の作者オギュスタン・ベルク桂離宮に代表される日本式庭園には、自然らしくあるために高度な作庭技術が用いられていることを指摘している。興味深いのは、日本の庭園は自然に対立し、支配さえする人工世界を創作するのではないが、かといって、自然と一体化するのでもなく、「自然らしいもの」を生成させる点である。つまり、こう言ってよければ、日本式庭園とは自然らしい庭園=擬・自然の創作物なのである。ここで京都学派、西田幾多郎の『善の研究』に高名な「主客未分」の主体像を想起してもよいが、「らしくあること」=擬的であることこそが、ベルクの指摘する日本式庭園の本質であることを踏まえれば、日本式庭園の場合は自然と庭園とが完全に一体化する未分の状態を追求しているのではないと理解することができる。すなわち、自然支配、あるいは自然との一体化でもない、自然への「擬態」こそ、日本式庭園のみならず、主客未分の意味を少なからず修正する、日本人の主体像と考えられるのだ。対象としての擬的なものに戻ろう。

 だとすれば、擬的な対象とは単なる写実主義自然主義ではありえないだろう。例えば、エミール・ゾラの客観的な観察をもとにした、自然主義文学の影響下にありながら、田山花袋『蒲団』がすでに柳田国男に批判されたように、作家の内面主義的な表現へと傾斜し、やがては私小説へと矮小化されてしまったこと。また、その柳田さえ、自然主義に徹したように思われる彼の民俗学的な民家研究の学問的実践、これもまた弟子の今和次郎によって、結局のところ柳田は「目に見えないもの」の透視を望んでいる点で、内面主義的な自然主義として批判とまではいかないが、手法の違いを指摘されることになった。では、その今和次郎関東大震災の焼け野原に立ち並ぶ、素人たちのバラックを装飾しながら、観察したところに始まった「考現学」的な視点は、「目に見えるもの」だけを対象とした自然主義の徹底なのか。おそらくそうではない。なぜなら、のちに赤瀬川原平の「路上観察」へのひきつがれる都市を遊歩する「考現学」の手法を、当時の川端康成はその「作家性」の高さにおいて評価しているからだ。(実際に、川端は今とともに考現学を始めた吉田謙吉にその即興的なスケッチの作家性の高さゆえに自身の小説の表紙を頼んだこともあった。)何より、考現学はそのはじまりから、擬的ものの観察から始まっていることに注目すべきである。今が考現学者として初めに目を向けた対象は藤森照信編の『考現学入門』の初めにあるように偶然に出会った、田舎のブリキ屋の作った『カリガリ博士の長持』以来有名になった表現派のガス灯、表現派の装飾のシンボル、ロココの装飾的な自由さを放っていた作品である。「万事がプリミティブで、また伝統を食べた口ばたのよごれもある」ものの、その西洋風に外形だけを整えたまさに擬的なガス・ランプ灯に感動を覚えたことを記録している。これは生活に即した土着的で機能主義的な家、道具への関心ではないだろう。今が東京美術学校の図案科出身であることと、この擬的なものへの感動は、彼のデザイン観を裏打ちされた感性かもしれない。いずれにせよ、そのテキストを書いた、翌年に関東大震災が起き、この擬的なものへの関心が、震災後のバラック調査へと移行することになったのだ。

 考現学の手法は、いまや社会学などの学問的な派生だけでなく、半ば趣味的なフォロワーを多く生み、雑誌等において「〇〇考現学」という特集は一般化しているが、よく知られる通り、そのフォロワーへの影響の大きさから言っても、1970年代から始められる赤瀬川原平の「路上観察」を外すことはできないだろう。震災後のゼロから現代に至る帝都東京が生まれる時期に考現学を始めた今に対して、赤瀬川は高度経済成長によって、新築されるビル群の間に、かつての機能を失ったがゆえに、都市の無意識を表出させる物件を写真に撮る路上観察を始めた。第一号の斜めから撮られた四谷の「純粋階段」の写真が有名である。機能という内実を喪失し、外形だけを留めた都市の装飾物としての擬的なもの=無用の長物「トマソン」探しは、爆発的に全国にフォロワーを生み出した。もちろん、「路上観察学会」やその他の活動は赤瀬川の超芸術から堕落した単なる趣味的なアマチュア文化であると批判の対象にもなりうる。しかし、今和次郎-赤瀬川原平の功績は擬的なものの観察と記録を通して、一個人の作家性というよりも、無数のアマチュア群を肯定的に生み出したことにある。また、都市の無意識を拾い集めた彼らの活動の場所をそのままネット空間に移し、キャラクターに宿る無意識を量的に収集・作品化するのが、2000年代に入ってからの一部の若手美術家の特徴として挙げられるだろう。その手前にあるかもしれない、美術評論家の千葉茂夫が「擬・建築」と名指した川俣正インスタレーションとの親和性を横目にしながら、川俣のように、一種の文化祭的空間を美術館内に生成させる、カオスラウンジらが主なモティーフとするアニメキャラクター、より正確にはキャラクター文化を支える二次創作、n次創作と呼ばれる、日本独自の消費=創作環境に現代における擬的なものへの美的な関心が見て取ることができるはずである。本家のオリジナルキャラクターから派生した無数のn次創作されたキャラクターは擬的表現そのものである一方で、ここではその受容環境に目を向けてみても、社会学者の濱野智史の指摘するニコニコ動画のコメントにおける「擬」似同期が生じている点が興味深い。つまり、そこでは対象としての擬的な表現を通して、擬的な共同体が生成されているのだ。

 

 次に、作者自身の擬態である。横尾が死に擬態するように、日本文化は擬態する。「日本景」シリーズは作者の大竹伸朗が、日本の地方都市をまわり、その風景の均一さとそれを観察する主体自体の風景化という実感に基づいて制作された作品群である。再び、オギュスタン・ベルクを参照すれば、彼のいう「実景」が参考になる。「実景」とは風景とそれに不可分であったはずの風土が切り離されてしまう状態を指しており、それは社会科学の知見によれば、自分自身の内部でも同様に起こり、自分自身すらも認識される風景と化してしまう状態である。そこではもはや外的な風景と自分自身との見分けはつかなくなってしまうのだ。また論文「擬態と伝説的精神」において「擬態」の最終目的は「環境への同化」であり、その周囲環境に同化することで、自らの感覚を喪失する「精神衰弱」患者との類似性を指摘したロジェ・カイヨワ風に言えば、それは自らの感覚を喪失した精神衰弱患者と類似した主体である。感覚の麻痺とともに、主体と客体という西洋近代的な二元論の間で宙吊りされてしまう主体。まさに「日本景」とはそのような実感に動機付けられている。このような作家の姿勢は美術評論家、椹木野衣が『日本・現代・美術』より一貫して主張する、「判断留保」し、「認識」する、悪い場所における作家像と正確に重なるものであるし、さらには文芸評論家、福嶋亮大が日本文学の基底に置く、旅人的視点とも共鳴するものである。また、このような還元主義的な主体の具体例として、『震美術論』では事前=事後を神話的想像力で作品化する作家と言い換えられている。付言すれば、そこで展開される事前と事後を内包する時間に生きることの再認とは社会学者の大澤真幸が「世界史の哲学」において、最後の審判の反復による、予定説と資本主義の親和性を事前と事後の二つの視点の両立にあると指摘することにぴったりと重なる。地球という下部構造の上に成立する上部構造としての政治経済という見立てを採用するならば、大澤は上部構造(資本主義)における事前=事前を、椹木は下部構造(地殻活動)における事前=事後を図らずも指摘していると言えるだろう。興味深くかつ、普遍的な人間の時間認識についての分析である。そして、椹木の場合は、原理的に地殻活動がもっとも先鋭的に露呈する空間としての日本列島の状況を、赤瀬川原平東松照明岡本太郎の対極主義や藤田嗣治村上隆スーパーフラットに仮託しており、『日本・現代・美術』では日本特殊論、『震美術論』では惑星特殊論と、ある場所に成立する美術を同一的に語ろうする、二つの意味(スーパーフラットな文化状況であること、さらには同じ惑星上に生きていること)での「同一性の哲学」が貫かれている。

 しかし、風景への同化や対象への擬態とは常に失敗に終わるものではないだろうか。例えば、ギヨーム・アポリネールの「オノレ・シュブラックの失踪」に代表される、壁への瞬時の一体化によって追ってから逃れるという探偵小説はいくらでもあるが、その身体の壁との一体化のほとんどが第三者、探偵によって、見破られ、失敗に終わるところに小説としての面白みがある。というより、原理的にいって、擬態とは一時的なものであり、仮に永遠に擬態してしまえば、読者はそれを単なる壁と認識するしかなくなってしまう。環境への同化=自己の喪失という状況そのものを対象化することは、それが永遠のものでない限り、どこかで失敗に終わるはずなのである。その意味で「日本景」は現在という時間につよく拘束された作品であると言わざるをえないだろう。作家が風景ではなく、作家主体である限りにおいて、その擬態は一時的なものであり、その擬態が溶ける瞬間に訪れる失敗の効用こそ、風景を描写する主体としての作家に求められているのだ。失敗の機運を効用として捉えること。思い返せば、アンディ・ウォーホルが大衆的イメージとしての死を反復するのに対して、横尾忠則が自らの死を何度も擬態する理由は、常に失敗し続けるからであった。盟友の三島由紀夫のように一発で仕留める死とは対極的である。横尾を自らの死を反復する。大竹の「日本景」が失敗の機運を喪失しているとすれば、同じように風景へと擬態することで、自己を喪失し、死したかと思えば、その企みは失敗に終わり、自らの延命に成功してしまうことが横尾の死への擬態である。これは横尾特殊論ではないはずだが、そのような作品が美術の領域においてどれほど制作されただろうか。

 確かに、おそらく一つ目の対象としての擬的なものよりも、二つ目の作家自身の擬態による擬的なものの方が困難な表現である。しかし、その両者が、それぞれの対象と作家の間に独自な関係性を結ぶことによって、判断留保する主体=「同一性の哲学」をその失敗の効用の繰り返しのうちに差異化する、「擬的表現論」としての日本美術史が書かれうる隙が開かれるはずなのである。

 

 

———————————————————————————————————————————————————-

<参考文献>

オギュスタン・ベルク『風土の日本』篠田勝英訳、筑摩書房、1992年

今和次郎考現学入門』藤森照信編、筑摩書房、1983年

椹木野衣『震美術論』美術手帖出版社、2017年

椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年

・『豊島横尾館ハンドブック』福武財団、2014年