よわいめ|ヨワイメ

同時代カルチャーをレビューするブログ

ソフィカル《海を見る》

かつて海の底であったスクランブル交差点に波の音が静かに木霊している。渋谷は太古の記憶を取り戻し、人々は海底魚のように歩行を開始する。4面ビジョンの映像では、それぞれ別の人物が薄雲った空のもとに青く揺れる海を眺めている。カメラはその背中を後ろから撮影し、数分すると、その人物たちは砂埃に目を細めながら振り返ってカメラを見つめる。映画史において幾度となく繰り返されてきた「型」に違わない身振りである。映画であれば、かの人物は自らの過去を見つめ直し、これからの生き方を新たにする。自己反省し、私と映画に転換を迎える「改心」の場面として、人間と海の対峙は紡がれてきた。とすれば、海を一度も見たことのない人々は果たして、これまでどのように自らの過去を見つめ直してきたのだろうか。《海を見る》が映さない、もう一つの始まりとは私と史の交わりのはじまりである。東西文化の混在するイスタンブール史において、人々は一体どのようにして自らの過去を眼差し、思い直してきたのか。いわば、私史と土地史が発見され、渋谷の海の雑踏のように編成される、その始まりをこそソフィは捉えようとしている。

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