「この世界の片隅に」論-ゴッホのミスリード(批評再生塾初出)

1.空襲シーン

 昭和20年3月19日、呉、空襲。対空砲火がすずさんの上空で炸裂。すぐさまに色彩豊かな爆発は絵の具のタッチに変わり、視界は美しい絵画空間へと変貌します。現実と絵画空間の重ね合わせ。細馬宏通はこの場面を空襲と想像力という明確な対比によって、厳しい現実の状況でも、描くことを止められないという「描く」ことの魔力を示している、斎藤環は「右手」の描き出す幻想性がすずさんのリアリズムを支えていると分析します。すずさんの世界のバランスを失わせると同時に自意識の目覚めを促すことになる「右手」の喪失については後で述べるとしても、鮮やかな空襲シーンはすずさんがどんな時でも「描く」人、あえて言えば、画家でありつづけることを象徴的に示す場面と解釈されているようです。しかし、これらの分析は問題を矮小化している、というより、欠点に気づきながら、あえて議論を迂回させているように思えます。なぜならば、筆者はあの時間と場所の記憶を浮かび上がらせる、綿密な事前調査と座敷童とりんさんを結ぶような、随所に抜け目のない構成で練りあげられた本作において、おそらく唯一物語から乖離し、回収されえない特異点がこの空襲シーンにあると考えるからです。

 原作と映画を比較してみると、空襲シーンにおいて、映画では原作のある描写が省略され、ある描写が追加されていることに気がつきます。それは戦闘機が上空から呉の町を俯瞰する視点の描写においてです。俯瞰視点は映画にも存在しますが、その描写をある方向に抑えられ、直後の空爆シーンに原作にはない演出が加えられているのです。まずは片渕監督が新しく加えた演出について原作と比較しながら、見ていきましょう。

 原作では空襲シーンは中巻の終盤(115-122頁)に描かれます。昭和20年3月19日。サンは家内で縫い物をし、径子は化粧鏡を覗き、日常の時間が続く中、すずさんと晴美は芽が出た畑で、ささやかな収穫をしています。夜勤明けで眠そうな円太郎。すずさんの背後の山には黒い影が見えます。燦々と降り注ぐ太陽光の下、何かの影はますます濃くなります。ふいに、視点は呉全体を山側から見下ろす、細かい筆致で描かれる街の美しい風景画になります。上空、戦闘機からの視点です。次の瞬間、視点は地上に戻され、けたたましい爆音に揺れる、大量の戦闘機がすずさんの背後の山を越えて、登場します。すずさんと晴美の目の前を「でー」、砲弾は「たんたん」と横切っていきます。駆けつけた円太郎とともに陰に伏せ、二人が難を逃れる場面。注にはそれは呉の初空襲、米軍艦載機グラマンF6Fを中心とした約350機による波状来襲であったと書いてあります。

 対して、映画の空襲シーンを見てみると、細馬、斎藤の両氏が指摘する、すずさんと「描く」ことのつながりだけでなく、その視覚的なアナロジーによって、すずさんと別のものとのつながりを鑑賞者に印象付けることに気がつきます。つまり、二つの異なる位相の印象を鑑賞者に植え付ける演出になっているのです。空中での一つ一つの爆発に視点が絞られ、ついには渦を巻く星々の輝く夜空に幻視されるシーン。それは限りなく、いやほとんど完璧にフィンセント・ファン・ゴッホの《星月夜》を模倣しています。誰もが一度は見たことのある、ゴッホの代表作《星月夜》。冒頭より、すずさんの周囲の人間とは異なる行動様式は段階的に示されますが、空襲に特徴的な渦巻く描写を見る者は、すずさんがゴッホと近い性質を備えていることを強く意識することになるのです。ひとくくりに「アウトサイダー」という言葉を適応すれば、鑑賞者はすずさんにゴッホと同じようなアウトサイダー性を感じとることになります。すなわち、空襲シーンにおける二つの位相の異なる印象とはすずさんが「描く」人であることと、「アウトサイダー」であることと言えるでしょう。おそらく、こうの史代の他の作品(「ナルカワの日々」)の背景に見られる《星月夜》風の描写を参考にして、その描写は付け加えられたと思われます。その演出がどのような効果をもたらすかはすでに確認した通り、鑑賞者は渦巻きを認識した瞬間にすずさんの何らかのアウトサイダー性を確信するのです。また、さらに想像力をたくましくすれば、声を担当したのんをそこに結びつけることができるかもしれません。しかし、物語が進行するにつれて、この誘導には無理があるということ、つまり、鑑賞者はすずさんとゴッホが似て非なる者であることに薄々気付き始めることになるのです。この両者を結びつけた鑑賞者に訪れる、拭いがたい決別は、すずさんとゴッホがともに被ることになる身体欠損に前後した展開に指摘することができます。

2.左耳と右手

 時は遡って、1888年、12月23日。クリスマス前、最後の日曜日。アルル、<黄色の家>でのゴッホとポール・ゴーガンの共同生活の破局が迎えられます。ゴーガンがゴッホの元を去ってしまう不信感と、もう何年も弟テオに資金援助を得ている身であること、「精神的熱病」とも表現されるある激情に襲われ、強いアプサンまでに手を出していたこと、愛すべきテオの結婚話。罪悪感に神経を乱し、ついに事件は半ば記憶なきままに決行されました。洗面器の西洋式カミソリで驚異的なことに根元から切り落とした耳を新聞紙に包んだゴッホは、小雨の中、女郎部屋のラシェルのもとを訪れ、中にいるはずのゴーガンに渡すように告げます。それもあるメッセージを据えて。「僕を思い出して」。ゴッホはその後、<黄色の家>に戻り、出血の傷跡そのままに眠り込みます。この一件を機に、ゴーガンはゴッホの元を去り、パリに向かい、資金調達に成功すると、タヒチへと向かうことになります。重傷のゴッホはアルル市立病院へとすぐさま入院を余儀なくされますが、回復後も幻覚幻聴により、サン・レミ精神病院への移送されることになります。そして、このサン・レミで過ごした時間に《星月夜》をはじめとする、傑作群が描かれることになるのです。耳切りについて、ジョルジュ・バタイユは有名な論考「供儀的身体毀損とフィンセント・ファン・ゴッホの切断された耳」の中で耳切りという身体毀損とゴッホの太陽信仰を結びつけて論じています。「身体毀損は、自分自身の一部を引き裂き引き剥がす行為によって、神話でかなり一般的に太陽神の性格に与えられる理想項と、完璧に類似しようとする意図を表しているだろう[i]」。バタイユによれば、一般的な供儀とは祭司が生贄を神に贈与する間接的なものですが、究極の供儀とは祭司自体が生贄になること、さらには神自体が生贄として贈与されることを意味します。そして、ゴッホの耳切りが究極の供儀の一形態であり、彼の太陽やひまわりを描いた絵画も同じように耳切りのような身体毀損の供儀であると結論付けます。このように耳切りが太陽への供儀であるという象徴的な読み込みを可能にするゴッホの精神的な障害は一種の癲癇であったと言われています。恐るべき「雷撃」とも称される、ゴッホ潜在的癲癇の状態は「常に移ろい、その生活も不安定である。一つの場所に長く留まることはなく、乱暴で、予測不可能な激昂は周囲のあらゆる者を苛立たせ、疎遠にさせ、最終的には激昂させ[ii]」ました。このような脳の電気的インパルスにも似た「爆撃」に襲われながら、描かれた作品が《星月夜》なのです。無数の星々の彼方にさらなる星々が広がり、月は無限の太陽よりも鋭い光を放ちます。力動的な星月夜の万華鏡。満ち満ちと、ゴッホの脳内に墜ちた雷を伴う「爆撃」をうかがい知ることができます。よく知られる通り、ゴッホの耳切り以後の作品群は近代絵画史の特異点的な達成ではありますが、それらがゴッホに生きる契機を与えたかといえば、そうではありませんでした。サン・レミから農村オーヴェル=シュル=オワーズに転地したゴッホは回復したかのように思われたものの、不吉な黒いカラスの叫びを満たした《カラスのいる麦畑》などに予見されたかのように、1890年7月27日、自殺については諸説ありますが、銃で自らの胸を打ち、29日の深夜に死を迎えました。またその兄の後を追うようにして、1891年1月弟テオも療養の甲斐なく、死に至ることになりました。これが神話化されたゴッホの耳切り事件の顛末です。

 時は下って、昭和20年6月。負傷した円太郎のいる海軍病院を訪れたすずさんと晴美はその帰り、突然の空襲警報。二人は防空壕に逃げ込み、爆音の空襲から難を逃れると手を繋ぎながら、海岸沿いにできた穴につき刺さる時限爆弾を目にした瞬間に爆発。画面はブラックアウトし、火花がパチパチと燃え、晴美と過ごした時間が思い出されます。意識を取り戻したすずさんは、自分の命と右手の引き換えに晴美を失ったことに気づき、あの時、左手で手をつないでいたら、と後悔の念に襲われます。晴美を喪失したこと、「描く」ための右手を失ったこと、この両方がその後のすずさんに大きな変化をもたらします。斎藤は「右手の幻想機能を奪われた彼女の自意識は、常に内省して[iii]」おり、また左手で描かれる描写に象徴される、右手喪失による世界の歪みが敗戦後に巻き起こる罪悪感を引き受ける土台となったと述べています。すずさんは右手喪失以前と以後で自意識を覚醒させ、責任主体へと成長するのです。不発弾の一件を機にすずさんの幻想から現実への回復を鑑みれば、右手喪失を一種の「治療」として捉えていることができるでしょう。ゴッホと比較すればそれはより明らかです。確かにわずかながら、ゴッホにも回復は存在しました。しかし、それは一瞬の安泰に過ぎませんでした。ゴッホが自らの病から解放されたのは、その癲癇が遺伝であって、自分自身に由来するものではないことを医師から伝えられた時でした。つまり、ゴッホの癲癇は治療されることがない「運命」なのです。むしろ、ゴッホはそう思うことで、一時の安泰を感じたのです。したがって、すずさんにゴッホのサン・レミ時代の作品《星月夜》を幻視させたことはその後の展開を見る限り、きわめてミスリードな選択だった言わざるをえません。また、あるいはゴッホとは「描く」ことの魔力を表現するには、あまりに求心力の強すぎる固有名であったとも言えるでしょう。

 最後に映画において、ゴッホの《星月夜》の幻視の犠牲となった描写について触れます。それは戦闘機の俯瞰視点で、すずさんの右手が描いたような風景画です。ただし、その時点で、すずさんは戦闘機の存在に気づいておらず、絵として想像することはできないために、すずさんに限りなく近いあのタッチは、一人、残る描き手としての作者こうの史代自身のものであると考えた方がよいでしょう。原作では他にもすずさんではない、スケッチ風の描写が発見できますが、それらは物語の基礎となる描写/すずさんの絵という二層で構成される物語世界に介入するもう一つの他者、こうの史代の存在を意識させるものなのです。つまり、原作は三つの層、描写/すずさんの絵/こうの史代の絵から成立する、複雑な構造をもっていたのに対して、映画ではその三層目を省略し、物語を描写/すずさんの絵(右手)に絞ることで構造を単純化しています。また、その代わりに渦巻く《星月夜》を挿入することで、すずさん=アウトサイダーという一見したところのわかりやすさを演出したのです。まとめれば、冒頭に述べた、問題の矮小化とはそのようなこうの史代視点の省略のことであり、物語からの乖離とは主人公であるすずさんとゴッホの相容れなさのことを示しているのです。

 以上より、ゴッホの《星月夜》描写はすずさんのアウトサイダー性に対するミスリード、また原作にあった3層構造の単純化という二点において、批判対象になると考えます。

[i] ジョルジュ・バタイユ『ドキュマン』江澤健一郎訳、河出文庫、2014年、244-246頁

[ii] スティーブン・キング、グレゴリー・ホワイト・スミス『ファン・ゴッホの生涯 下』松田和也訳、国書刊行会、2016年、279頁

[iii] 斎藤環「すべては「すずさんの存在」に奉仕する」、「美術手帖」2017年2月号、114頁