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上野動物園

上野動物園 

 

 

午前9時過ぎに、家を出た。蔦屋の準新作DVD三作を2日の間延滞していたので、それを10時の開店とともに返却し、自由な木曜日を過ごそうと計画し、僕はそれまでの一時間を福生市内で潰すことにした。家から徒歩で3分のひふみ公園にはまだ雪が残っていた。つっつと右足の爪先で蹴ってみると、そんなに固いわけではなく、土や塵と綯交ぜになり、隕石のような巨大なオブジェになっているわけでもなく、それなりに柔軟で、中にはまだ白銀の日々が続いていた。過去を中に包み込むという幽霊的な雪の群れを通り過ぎると、雨が降り出した。雪は視界を曖昧にさせる。視界不良は交通事故の原因にも容易になりえる。雨も同じだ。目の前を透明な液状化したガラスの雫が、高校球児の投げた、あの夏の速球と同じ速さで、通り過ぎる。それも休みなく、投げられる。僕はこの自然現象による、世界の曖昧化大作戦を好んでいる。人間はそういう時にこそ自由を感じるようだ。大雨の日に、やけくそになって、湖と化した校庭に着衣のままダイブする、というおそらく古来から脈々と受け継がれてきた人間の遺伝子の記憶に明瞭に標される、欲望の形式を僕は雪と雨に発見する。傘をさし出した、おばさんたちを見ると、長年の勘なのか、朝のニュースの信者なのか分からないが、どちらにせよ、一つの直観を真実として信じることのできる偉大な人間にあるに違いないと、こじんまりとした背中に拝みたくもなってくる。コンパクトなおばさんたちの振る舞いは若い主婦にも受け継がれていくのだろうと、煙草でも吸って、もの思いに耽りたいと思うのと、同時に、きわめて生理的に、いや僕に薬はまだいらないと、煙草屋のこれまたおばさんの目を見ながら、思うのである。薬はいる人にはいるのである。同様にいらない人にいらない。ただそれだけのことである。良いも悪しきもありゃしない。雨宿をしようと小雨の中、僕は西友に向かった。ただ特に西友で買うものも見る物もなく、店内を20分ほど散歩し、時間をつぶした。そのまま近くのマックに入り、朝マック、エッグマフィンセットを注文し、カウンター席に座り外を向いて、食べ始めた。只今午前9時47分。出勤前でもない、そして土日でもない、この曖昧な時間帯にマックに来る人は何か人生にでも悩んでいるのでいるに違いないと妄想し、辺りを見渡してみると、学校に行かずに向かい合ってしゃべり続けている高校生のカップル、その横でこれから公民館や習い事にいくのだろうか、70代近くのおばあちゃんたちが3人で珈琲を飲みながら話している。僕の真後ろには禿げかけた脳天と細い手足をした、全身黒づくめの一人の男。そして僕の横に何席か空けて、40代ぐらいの主婦なのか、化粧もせずに、子供を保育園に自転車で送り届けた後の、家事との間につかの間の休息をしている女が一人座っている。なんと彼らこそ映画の脇役としてもう一つの世界を形作る、名役者たちでなのであろう。主役のいないこの物語のマック店内のシーンはこれで一発撮影完了である。脇役にもならないような、エキストラの振る舞い一つでこの世界が現実のものか、睡眠下の夢のものなのかが見極められる。マック店内の彼らの完璧な演技によってこの現実の世界もその周縁から支えられているのだと思う。神は細部に宿る。細部のつまらなさによって、夢の世界から僕らは出勤前のこの世界にバックすることができるのである。僕は確かに手元に置かれているらしいエッグマフィンとハッシュドポテトを食し、爽健美茶を恐れ知らずに一気に胃の中へ流し込むと、マックを出て、やっとのことで小雨の中を蔦屋へ向かった。蔦屋で合計延滞料980円を払い終えると、何冊か気になる本が並べられていたので、大体の目星をつけ、記憶し、蔦屋を後にした。そのまま西友・マック方面へ戻り、福生駅から東京行きに乗り、昭島駅で下車した。昭島モリタウンの書店の選本は大変絶妙で、毎回行くたびに、僕は興味をそそられる本の並びとなっている。品揃えが問題なのではなく、やはりその選択する嗅覚が重要なのではないか。などと毎回思いつつ、物色している。今日は迷ったあげく、柳田国男の「小さき者の声」、中沢新一の「バルセロナ、秘数3」とNewsWeekの今週号を購入。僕は今、旅行記に興味がある。当地を作家が訪れて、感じたことを書く。「バルセロナ、秘数3」もその一つである。実際にあったものからはやはり空想とは異なる匂いを感じ、またその嗅覚を養うための良い文学レッスンであるようにも思うのである。僕もそんな旅行記を書いてみたいと思っている。書店の後はglobalworkで5000円のパンツを購入。映画ゼロ・グラビティをまだ見ておらず、本作はぜひ映画館で見るべきものであるらしいので、昭島のムービックスの時間を見ると、今日がゼロ・グラビティ放映最終日で、良いのだが時間が午後18時45分からで時間が合わず断念。ちなみに只今午前11時45分。映画という時間泥棒が逃げ足早く、姿を晦ますと、現実の僕の目の前には取り残られた時間だけが、大量に広がっていた。どうにか、この残余の時間を使わなくては、と思い立ち、とりあえず、中央線を東京方面へと向かわせた。新宿で山手線に乗り換え、上野駅下車。小雨の中上野公園を直進し、上野動物園で入園。動く物という機械仕掛けの近代的名称は、この動物園をからくり屋敷のような人間の工作室であると想像させる。新宿で降りると、僕は強くなりだした雨の中、ヘッドフォンにサカナクションアイデンティティ」を流しながら2時間の間、新宿散歩。新宿はサカナクションが良く聞こえる街なのである。音楽家から放たれた音楽は心地よい場所を探し、彷徨う現代で、僕の中のサカナクションは新宿にそれを発見したのだろう。街は変容するのではく、音楽の意味が変わる。ヘッドフォンと耳の間の空間が変容し、脳内で「アイデンティティ」に新しい意味が更新される。帰りは優雅に青梅ライナーで帰路に着いた。

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