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灰色のいつかの日記

起きても、授業に行く気がせず、布団に包まり、何度も鳴り響くアラーム音を何度も停止した。やる気が起きないのではない。やる気の向かう方向がずれてしまっているのだ。ただその向うべき方向が明らかかといえばそうでなく、僕は考えるたびに、途方に暮れてしまう。生活に張りがない。表面上の変化があるばかりで、僕自身の変化や、僕の周りの人間の激変は一向に見受けられない。このように考える僕は、ある一つに思考に憑りつかれているに違いない。経験的にははっとその一つの考えの牢獄から脱する瞬間が、突然に訪れる。希望的ではいたい。しかしなぜこうも世界がつまらないのか。所詮、誰かが考えたことのあることを、それを知らないもの同士で盛り上がって、感極まることの繰り返しの、この世界は、一人の僕という存在、一人の僕という人間の存在の意味が希薄になってしまう。僕でなくてもいい。僕の生活の活力はイヤホンから流れる音楽にしか支えられるだけで、それ以外に寄りかかることのできる物は存在しない。あとは眠るための羽毛布団があるのみである。この部屋からは結局、出ることができないのである。それなのに僕はこの部屋の内と外が同じ世界のであるとも思えない。外の方が面白く興味深いもののはずなのである、と感覚的には知っているのであるが、外へ出ることを想像すると、またもや同じ電車、同じ目的地、同じ人間が浮かんできてしまう。僕はもうその一連の想像に随分と疲れている。何もかもが繰り返しの、この世界に飽き飽きとしている、でもこの現実から逃亡することもできない。繰り返しの内に変わっていくよ、と誰かが歌っていたけど、その変化の仕方、大小だって、のちにはパターン化され、アルゴリズムが暴かれ、計算可能性の世界に組み込まれ、結果的には繰り返されてしまう。それも容易になされてしまう。僕はそんな風に盲目的に思ってしまうことをやめられない。頭のデフォルト設定がそうなってしまっているのである。丁抹神学者、哲学者が言うように自殺をする人間とは、ある一つの考えに徹底的に囚われてしまった人間だとするならば、多くの日本に生きる社会人と呼ばれる、彼らは自殺予備軍に違いない、と思うのと、同時に、それすら考えず、生活をする人間に怯えながらも、僕もその一味として組み込まれていると、心のどこかで思っている。この不安を善悪の二元論で考えようとしてしまう、僕はつまらない。

 

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