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モランディ論2

第4章 顔と瓶

 

 本章では周縁的な作品として扱われることの少ない自画像と貝殻の作品に目を向ける。自画像に関しては、晩年になって、モランディ自身が初期の自画像を破毀するという一種の事件や1930年を最後に人物が描かれなくなるという事実がある。貝殻を描いた作品の方は1940年代に故郷ボローニャからグリッツァーナの別荘に避難した際に、制作された連作シリーズである。自画像と貝殻の作品に共通するあるイメージを挙げた上で、それでもなお、静物画に収斂していく過程を、彫刻家アルベルト・ジャコメッティとの比較において、照射する。

 

第1節:破毀された自画像

 

 モランディは晩年に一枚の作品を自ら破毀する。「形而上絵画的自画像」とも呼ばれる1917年《肖像》(図1)は、現存するのは複製写真のみで、現物は残されていない。明確な輪郭線と鼻と唇、顎の彫塑的なボリューム感と、明暗の対比がはっきりとなされ、両目の眼差しはこちらを横目で据えている。ランベルト・ヴィターリのカタログレゾネによれば、少なくとも二人の手に渡った後に、モランディの手元に取り戻され、破毀されたようである。その自画像はデ・キリコやカッラを通した形而上絵画の影響下にあった時期(1917-1919年)に制作され、マリオ・ブロリオを中心に創刊された『ヴァローリ・プラスティチ』の1919年11-12月号に掲載された。モランディ自身の意向もあったのか、作品名は自画像ではなく、《肖像》と記載されている。モランディの自画像は合計で7枚確認されているが、その中で《肖像》と名付けられたものは、破毀された作品だけである。その行く末を簡単に紹介しよう。1919年に完成した《肖像》は、友人であり、当時ローマに滞在していたジュゼッペ・ライモンディに送られた。ローマにあった雑誌『ロンダ』の編集室の壁には《風景》(1917年)(図2)、二枚の《静物》(1918-1919年)(図3、4)に並んでこの《肖像》が飾られていた。二枚の《静物》はマリオ・ブロリオのコレクションに買い上げられるが、問題の《肖像》だけはライモンディとともにボローニャに戻ってくる。画家自身の元に返して欲しいというモランディの意向に沿うように、1928年頃、一時的に《肖像》はモランディの元に持ち帰られている。前述のヴィターリのカタログレゾネには、ボローニャのライモンディ、ミラノの蒐集家ランベルト・ヴィターリ、そしてボローニャのモランディの順に記載されており、その往還に際して、どんなやり取りがなされたのかは不明であるが、一旦ヴィターリの元に保管されたのちに、再び、その作品はモランディの手元に戻ってきているようだ。幾つかの往還を経て、ついに若かりし画家の肖像は、モランディ自身によって破棄されるのである。破毀された理由を表層的に解釈すれば、未来主義やキュビスム、そして形而上絵画に揺れ動いた、若かりし画家自身の過去を消し去るためであると考えられるだろう。ただし、ごく初期の1914年にも自画像は制作され、1920年代には4点の自画像が制作されているのにもかかわらず、なぜ《肖像》だけが破毀され、他の自画像は生き延びたのだろうか。筆者は両者のこの差異を眼差しの有無にあると考えている。

静物画家の自画像として、誉れ高きジャン・シメオン・シャルダンの《日除けをつけた自画像》《眼鏡をかけた自画像》(図5、6)は、哲学者ジャック・デリダによれば、自画像制作における盲目性を象徴するかのように、つるなし眼鏡をかけた画家自身の目は暗く沈み、「日除け」は光の脱落にして被覆を語っている[i]。画家は盲者であり、自画像は記憶によって再構成される。身体上にありながら、同時に分離する「目はおのれを分離し汚れなきものとなる、人はそれを欲望しうる、それを刳り抜こうとする欲望を抱きうる、自分の目を刳り抜こうとする欲望さえ[ii]」。視覚を司る目は、エルゴンであり、パレルゴンでもあるような、いわば、準超越論的な存在なのである。

 自画像制作において特権的な振る舞いを見せる目の描写をモランディの自画像に指摘することはできない。例えば、《自画像》(図7)には正面に座した若き画家の目の在り処は仄めかされつつ、観者を突き刺す眼差しは読み取れない。「見ることに生涯こだわり続けたはずの画家が、自画像ではこのように、見るという行為、つまり眼差しを描こうとしていないのだ[iii]」。シャルダンにおいて分離した目はモランディの自画像では再び身体に引き寄せ留められている。厳密には、画家の微弱な眼差しは絵画平面の手前で留まっているために、自画像と観者の間に視線の交わりは機能せず、画家は観者に何も示さないことを示し、観者は画家の感情の読み取りに失敗する。それはモランディ自身の個別性を充分には特定できないような半匿名的な描出である。

 破毀された《自画像》と他の自画像(図7、8)を区別するものはその眼差しにある。他の自画像では画家の眼差しは絵画空間内に収束しており、反対に、観者の眼差しが画家自身に認識されることもない。絵画平面を基準に境界策定し、あちらとこちらの領分を侵害させない態度を表明しているのだ。それに対して、問題の形而上絵画的《肖像》(図1)では画家と観者の視線は交わり、絵画はその意思疎通の媒介物に徹している。画家から観者への意思表明の道具と化しているのだ。幸いにも、生き延びた自画像はいずれも視線の交わりを持たず、絵画のうちに引き戻り、留まるということを画家自身に要請していた。このような画家自身の領分の内側へ、「なかへもどる(withdraw)」という性格を象徴するかのように、モランディは貝殻(図9)を戦時中に描いている。渦巻きの中で複雑な陰影を見せる貝殻がボローニャの爆撃やグリッツァーナへの閉塞的な生活を示し、時に顔の見えない未知の暴力によって困難な状況を迎えてしまったモランディ自身、あるいは限りなく同義的にボローニャの爆撃状況を表現している。1940年《静物》(図10)のような作品は表現主義的ですらある。

 1884年に生まれ、モランディとほぼ同時期をフランスで過ごした哲学者ガストン・バシュラールは貝殻と出現の運動を結びつけ、深奥から渦巻きながら出現する生物誕生の神秘を、貝殻からの軟体動物の到来になぞらえている。貝殻は古来より幾何学的精神の源であり、「つねに神秘的なのは、形ではなくて、その形成である。

(中略)実際、生命はのびあがるよりも、むしろまず回転することから始まるのである[iv]」。貝殻の中から出現する存在、軟体動物は「半ば肉、半ば魚[v]」ではなく、「半ば死、半ば生の存在であり、極端なばあいには、半ば石、半ば人間である[vi]」。いわば、貝殻と軟体動物は、中間者として、私たちの世界に潜在的に出現する可能性を持ちながらも、死を告げる深奥へと引き戻る無化の作用を持ち合わせた存在なのである。

 バルトルシャイティスの『幻想の中世』[vii]においても、常に、巻き貝はバシュラールが「大きなものと小さなものとの弁証法[viii]」と呼んだものの場であり、その極小の空洞から雄牛や鹿、野兎が姿を現わす容器であった。貝殻には「のなかから出現する[ix]」というイメージが託されているのである。しかし、バシュラールの言説の中にすでに指摘できるように、貝殻に付随するイメージは出現だけではない。

 

「身をかくす存在、「殻のなかへもどる」存在は「出現」を準備する。埋葬されたものの復活から、長く沈黙した人間の突然の爆発まで、どの段階の隠喩についてもこれは真実である[x]

 

貝殻には必ず、外部への出現の前触れとして、あるいは事後的に、中へ引き戻る性質が付随しているのである。それゆえに貝殻の一連のイメージは、正確には出現と無化の表裏の関係で理解するべきである。モランディの貝殻に当てはめるとすれば、あるものの出現は外部へ伸び上がるのではなく、内側に引き戻り、留まる無化作用ではないだろうか。貝殻の深奥から外部へと渦巻き、伸び上がる生命性であるよりも、内なる世界へと引き戻る(withdraw)内向性である。それはモランディの貝殻の領分を守り、他なる者の領分を侵害しないという抑制的な姿勢である。モランディは私的な生活の「平静[xi]」を願い、「他の芸術家たちの何らかの側面を非難しようと望んでいるわけではありません[xii]」と他の芸術家への干渉を極力避けようとする。自らの領分を守るという姿勢はモランディの画家としてのあり方そのものなのである。自室兼アトリエという貝殻に引き戻っていく、画家モランディは、他なるものの領分に立ち入らない代わりに、自らが築き上げた親密空間に薄いヴェールをかけてしまう。この抑制的で引きこもり的な姿勢はモランディが孤高の画家と呼ばれる一つの所以であるだろう。

 本節では自画像破毀をめぐる顛末に眼差しから生まれる視線の交わりの有無、また自画像と貝殻の作品に出現の裏面としての「なかへもどる(withdraw)[xiii]」という性格を見出した。ただし、事実として、モランディは眼差しの有無に限らず、1930年を最後に人物を描くことがなくなる。眼球から発せられる眼差しへの忌避のみならず、それを支える基盤としての顔すらも消去してしまうのだ。したがって、次節では、議論の焦点を眼差しから顔の問題系へと移行しなければならない。

 

第2節:顔と瓶

 

 本節では肖像画から静物画への収斂を確認した上で、人物が描かれなくなるという決定的な切断について検討する。1930年以降にモランディが肖像画を描かなくなる理由を探るために、同時代に「顔」という対象に対峙した彫刻家アルベルト・ジャコメッティとの比較をする。ジャコメッティは顔、いや正確には人間の頭部に対する異様な執着を見せた。一見かけ離れた存在のようでもあり、結び付けられることも少ない、両者ともに孤高の芸術家ではあるが、結論からいえば、筆者はモランディをジャコメッティのネガとして位置付けられると考えている。以下、本文に移ろう。

 ジャコメッティ第二次世界大戦を境にシュルレアリスム彫刻からその作風を一変させる。顔の主題が先鋭化するのは、例えば、《鼻》(図11)や《黒い頭部(矢内原)》(図12)においてである。枠縁に捕らえられた、人物の頭部はその鼻を観者の元に残して、後方へと遠のいてしまっている。この彼方への後退は作品の完成段階においてではなく、ジャコメッティがすでにあるイメージに対峙した瞬間から始まっている。顔の突端部である鼻は後退の果てに世界に残余として残された物質性を体現しているようでもある。さらには矢内原伊作の肖像ではもはや残余すら存在しえない臨界に達している(図12)。頭部は極小化され、鼻を含めた顔の細部の描写は成立しておらず、線描の重なりは消えてしまった顔の痕跡をたどるだけである。ジャコメッティにとって顔との対峙は常に一回きりの激しい闘争であった。そして必ず捉え損ねた。ジャコメッティは顔との遭遇について以下のように語っている。

 

「私は虚空の中にある人々の顔、それを取り巻く空間の中にある人々の顔を見はじめていた。私が見つめている顔が凝固し、一瞬の中に決定的に不動化するのを初めてはっきりと認めた時、私は生涯かつてなかったような恐怖に慄え、冷たい汗が背中を流れた。

(中略)いわば同時に生きてもおり死んでもいるあるものとして私はそれを眺めたのだ。私は恐怖の叫びをあげた。[xiv]

 

行き交う人々の顔だけが、突如として、静止し、永遠の時間の元に取り残される。ジャコメッティは体温を失ってもなお、目の前に現れる無数の顔に恐怖を感じている。第一次世界大戦後に懐かしいイタリアを訪れたフロイトが突如として立ち現れた不気味な街並みに慄いたように、あるいは取っ掛かりを失った世界を描いたデ・キリコの連作《イタリア広場》(図13)に孕まれている空白の空間から、不意に倒錯した性的欲望が発露されることともやや異なる経験である。暗闇から人間の顔の突端部である、鼻がこちらに向かって浮かび上がってくるという個人的な経験に依拠したジャコメッティの恐怖の発露過程はボローニャを追われたモランディが貝殻に託した陰鬱の表現と響き合うものかもしれない。ただし、両者を同一視することはできない。例えば、モランディとジャコメッティの対象との関係をめぐる相違を以下の引用から読み取ることができる。

 

「すべてのものに対し、宇宙そのものに対し、一種の親密さがあった…… そして突然、それが異質なものになる。あなたはあなたであり、宇宙は外側にある。宇宙は非常に厳密に暗澹たるものになる……[xv]

 

後年、ジャコメッティが若い頃の経験を語った言葉である。それまで親密であった世界、対象との関係が突如失われ、すべてのものは異質なものとなり、宇宙は自己の外側に歴然として存在する。「あなたはあなたであり」という言明は自己を通した超越論的な理解の彼方にある他者の存在を示している。ジャコメッティは常に異質なものに遭遇し、対象としてきた。そして、それこそが顔(頭部)なのであった。

 「責任」の意味をめぐって、自己と他者の間主観性に回収することのできない絶対的な外部性を他者と言い表し、倫理的基盤においたのは哲学エマニュエル・レヴィナスであった。絶対的な他者を「顔(visage)」の名の下に提示するレヴィナスは「存在論は根源的か」の中で、表象不可能なものとしての他者との遭遇について以下のように記述している。

 

「他者との遭遇の本義は、対象に対する私の支配、対象の隷属がいかに大きなものであろうとも、私には対象を所有することができないという点に存している[xvi]

 

自己は顔に先鋭的に現れる存在者としての他者を所有することができない。他者の顔は私自身が死を自己の内に包摂できず、理解しえないことと同様に、内在的な秩序を本質的に揺るがす存在なのである[xvii]。筆者がここでジャコメッティの顔とレヴィナスの顔を同一的に語ろうとすることはいささかの短絡かもしれない。確かに、レヴィナスの芸術への言及は少数に限られており、また偶像崇拝禁止を破る芸術全般には批判的な態度をとっている。またレヴィナスの顔とは他者の具体的な物理的な顔の所作のことを意味するのではなく、自己と他者という二項関係の以前に存在し、すべての関係性を規定する始原的な現れを意味している[xviii]。したがって、レヴィナスが定義するところの「顔」の意味を、芸術作品における顔の描写と直結することは決してできない。しかし、ジャコメッティの対峙した顔を理解する上で、レヴィナスが絶対的な他者の自己への現前の仕方を顔(visage)という独特の言葉によって表現し、所有できないものとしていることは一つの光明ではないだろうか。

 レヴィナスの顔が意味するところは何か。一つには「無限に他なるもの」の切迫した「近さ」を「顕現」「表出」によって結びつけるためだと考えられる[xix]。自己との「近さ」とその自己への「表出」を言い表すために顔という言葉が使用されているのだ。あるいは他に、自己の志向性の狙い(visées)が、反対に、狙われたものによって凌駕されてしまうという志向性の逆転現象を顔(visage)という単語は示してもいる[xx]。つまり、ここで使われている顔とは自己に限りなく接近し、凌駕し、自己の内的圏域を揺れ乱し、変貌させてしまう現れを意味しているのだ。

 自己への他者の顔の表出を、一般的な画家とモデル、あるいは作品と観者の二項関係に当てはめることは控えなければならない。なぜなら、他者とは、前述したように、その現れによって、自己と他者という二項対立を成立させる未然的な存在であるからだ。言い換えれば、無限の広がりをもつ他者という第三項が未然的に存在し、その顕現によって、初めて第一項と第二項の関係がとり結ばれるのだ。つまり、第三項の到来に二項関係は依拠しているのである。

 再度、ジャコメッティの対峙した顔について検討してみよう。それは現前の他者の深奥から鼻を突き抜けて到来する顔ではなかったか。限りなくその顔はジャコメッティに切迫しているのと同時に果てしなく、遠い「隔たり」をジャコメッティとの間に保持している。「近さ」と「隔たり」がディエゴか矢内原の顔面の起伏に確固として刻まれているのだ。その遠近の錯綜した経験からはモデル自身から到来するというよりも、二人の人間の対峙を成立させている第三者の存在を想起せずにはいられない。ある時、ジャコメッティは人物を対象にしていながら、「肖像画を描くことは不可能だ[xxi]」と言い放った。写真登場以来、絵画表現の存在意義の模索は、特に人物を対象にする際に問題化した。写実的に肖像画を描くことは、20世紀の芸術家にとってみれば、到底、不可能な取り組みなのである。しかしそれでも、ジャコメッティは人物の内面描写に特化していくことはしない。むしろ「ぼくは外面に苦労するだけでたくさんだ。内面まで問われないよ[xxii]」と素朴に答えてさえいる。写実をはるかに突き抜けて、外面を凝視するまなざしはジャコメッティが幾度となく言及し、崇拝するセザンヌのそれに重なる、「実存」的とも呼ぶべきものであろう。つまり、ジャコメッティは写実的にではなく、実存的に描くのである。

 今一度、前述のレヴィナスによる他者との遭遇に関する引用に目を向け、その後半部に言及しよう。それは「私は対象を所有することができない」という文言である。対象とは他者であり、その自己への現前の仕方としての顔と言い換えて差し支えないだろう。本節で述べてきた、顔の意味を振り返れば、容易に想像がつくように、対象としての顔は自己の志向性を凌駕する存在であるために、自己である私は、決して所有することができない。

 ジャコメッティレヴィナスの顔についての直結は避けつつも、なぜ彼らが特権的に顔という言い表しでもって、対象に対峙したのかは概ね、二つの意味に解釈できるだろう。レヴィナスに従えば、

一方に顔の切迫は自己に自己自身についての意思表明をせよと問いかける。より強く言えば、強制し、自己の内的圏域を改変させてしまうものであった。同時に、他方では自己を凌駕するゆえに、顔は自己には所有のできない現われでもあった。両者は相互補完的ではあるが、あえて二つに区別するとすれば、顔とは自己の意思表明を促すと同時に、自己には永遠に所有のできないものなのである。

 ではモランディの場合はどうであろうか。事実としてモランディは1930年を最後に人物を描くことがなくなる。眼差しの果てに、ついには顔すらも消去してしまうのである。本来的に他者への意思表明を促し、強制する顔の消去は、そのままモランディの絵画へ向かう画家としての姿勢を示すものであろう。つまりなぜ、モランディは瓶や壺に向かわざるをえなかったのか。おそらくそれは自由意志によってもたらされた穏やかな安寧などではない。絵画を通した意思表明に孕まれている他者の領分を侵害する暴力性にモランディは与することができないのだ。モランディにとって、顔のもつ過剰さの一つは、否応なく観者に何らかの意思表明を促してしまうことにこそあったのである。

 次にモランディにおける所有の問題はどうだろうか。例えば、ある瓶は蚤の市で購入され、自室に運ばれ、内部を濯がれ、時には絵の具によって、彩色された。モランディによる一連の通過儀礼を経て、瓶は戸棚に設置される。しかし、すぐさまに出番が来るとは限らない。自然発生的に埃が浅薄に堆積するのを待ち、来るべき時に備えるのだ。豊潤な時間がモランディの部屋には、モランディの瓶には包含されている。そして、窓からの陽光がベニヤ板で調整され、瓶がモランディによって指名され、机上に配置される時には、すっかりモランディの所有物に変貌している。ジャコメッティの対象が突如として外部から出現する顔であったのに対して、モランディの対象はきわめて親密的な画家の所有物であったのである。

 本節をまとめよう。ジャコメッティが直面した顔とは自己の、全くの外部から戦慄を伴って現れる他者であった。超越論的に自己の内に取り込むことはできず、経験から蓄積された知識をもってしても、その顔を捉えることはできない。現れの度に、新奇な取り返しのつかなさを、ジャコメッティは常にやり直しの作業として線描したのだ(図16)。しかし、幾多の線描は決して、顔を捉えてはいなかった。常にその現れの痕跡が、過剰に往復する線描によって、想起されるだけである。その上で、レヴィナスの他者論を参照しながら、ジャコメッティの対峙した顔が意思表明を促すとともに、自己には所有不可能な存在であったことを確認した。一方で、モランディの場合はジャコメッティとは対照的に、顔によって、他者への意思表明をしてしまう過剰さを避け、またその対象は、通過儀礼を経て、初めて机上に配置される画家と親密な関係を築いたものであった。言い換えれば、自己の世界を揺るがし、変容させてしまう、過剰なる顔を遠ざけていく過程はモランディの対象が瓶や壺に収斂していく過程でもあったのである。

 

第3節:人物の否定、絵画の否定

 

「(それにしてもなぜモランディは人物を描かなかったのか?パゾリーニのカメラが直視したように)[xxiii]

 

レヴィナスの他者論の援用は、岡崎乾二郎による「知覚のバリケード」末尾の問いへの一つの応答を可能にする。なぜ、モランディは自画像を破毀し、肖像画を描くことを忌避したのか。肖像画として名高いディエゴ・ベラスケスの傑作《教皇インノケンティウス10世》(1650年)(図14)の顔に凝縮された本人性を挙げるまでもなく、自画像の本質は顔の描写にある。顔の綿密な描写こそ、肖像画と他の絵画ジャンルを分ける指標なのである。だとすれば、モランディは自画像制作において、他者化した自己の顔に対面したと言えるだろう。モランディは、観者を見竦めるとともに魅惑する(fascinate)メデューサの眼差しの魔力を破棄し、さらには、意思疎通を媒介する顔からも撤退してしまう。いみじくも、レヴィナスの言葉に付き従えば、

 

「他者とは、その否定が全面的否定、つまり殺人としてしかありえないような唯一の存在である。他者とは私が殺したいと意欲しうる唯一の存在者なのである[xxiv]

 

私は、すなわちモランディは、他者の顔を殺害することを意欲してしまう。初期の自画像《肖像》(図1)を破毀すること、つまり殺害するという全否定によって、その顔の悪魔払いを遂行する。そうすることで、モランディの作品世界は一人の存在者の所有可能な親密空間へと引き寄せられていくのだ。それは画家にとって画家の世界を守ることであると、同時に、観者の世界に立ち入らないという気遣いの現れでもある。小さな器の接触/非接触(図15)の繊細な手つきは、モランディ自身が他者の直視を忌避するものでありながら、観者にとってもモランディの静物画が顔として浮上することがないようにという配慮を示すかのようである。浅薄な埃のヴェールで覆われた画家と瓶や壺が築いた親密空間は、それは貝殻に引き戻っていく軟体動物のように絵画のうちに引き戻り、留まる画家の姿勢である。

 モランディのこのような姿勢に画家の保守性を指摘することも大いに可能であろう。ただし、モランディの保守性とは伝統主義でもなければ、革新に対する反動でもない。モランディのそれは細心の注意を払い、他なるものの領分に立ち入らず、自らの内に閉じていくことである。第3章、そして第4章で扱ってきた自画像の破毀、顔から瓶への流れを言い換えれば、それは絵画が閉じられていく過程ではなかったか。モランディが保守的であるならば、画家の作品制作に対する動機はおそらく、絵画を閉じてしまうことにある。かつて「感情」であるときっぱりと答えた静物画家との間には、あまりに大きな隔たりが存在している[xxv]。振り返れば、第3章の平坦さとはそのような事象の前触れであったのかもしれない。観者の見通しを不可能にする壁は静物画において、常に瓶や壺の背後に迫っていた。連作《静物》1959年(図17、18)では、画面右端に、現実には存在しないはずの平坦な壁までもが絵画空間を遮蔽するように現れていた。華の16世紀イタリアで開かれた絵画を、20世紀、ボローニャにおいて、ひっそりと閉じてしまうということ、それは決して息詰まる閉鎖性ではないとともに、バリケードと呼べるほど強固なものでもない。それは互いの領分を守り、立ち入らないための予防線なのであり、絵画のうちに留まるという保守性そのものなのである。保守的に画家の意思を伝達しえないモランディの作品群はもはや、絵画の否定に限りなく漸近しながらも、モランディはその保守性でもって、きわめて控えめに、意思表明をしないという意思表明を彼の瓶や壺に託したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[i] ジャック・デリダ『盲者の記憶』鵜飼哲訳、みすず書房、1998年、

90頁、96-97頁

[ii] 同書、同頁

[iii] 岡田温司『モランディとその時代』人文書院、2003年、234頁

[iv] ガストン・バシュラール『空間の詩学岩村行雄訳、ちくま学芸

文庫、2002年、197頁

[v] 同書、201頁

[vi] 同書、同頁

[vii] 同書、200頁、ユルジス・バルトルシャイティス『空想の中世』

 コラン版、57頁

[viii] 同書(ⅴ)、204頁

[ix] 同書(ⅴ)、202頁

[x] 同書(ⅴ)、205頁

[xi] 岡田温司編『ジョルジョ・モランディの手紙』みすず書房、2011年、 

 240頁

[xii] 同書(ⅻ)、244頁

[xiii] 同書(ⅴ)、205頁

[xiv] 小林康夫『絵画の冒険』東京大学出版会、2016年、284-285頁

[xv] アルベルト・ジャコメッティ『エクリ』矢内原伊作・宇佐美英治・

 吉田加南子訳、みすず書房、1994年、393-394頁

[xvi] エマニュエル・レヴィナスレヴィナスコレクション』

 合田正人編・訳、ちくま学芸文庫、1999年、359頁

[xvii] 港道隆『レヴィナス 法-外な思想 現代思想の冒険者たち(16)』

  講談社、1997年、124-125頁

[xviii] 青木孝平『「他者」の倫理』社会評論社、2016年、69頁

[xix] 合田正人レヴィナスを読む』ちくま学芸文庫、2011年、189頁

[xx] 同書、同頁

[xxi] ジェイムズ・ロード『ジャコメッティの肖像』関口浩訳、

  みすず書房、2003年、14頁

[xxii] 同書、50頁

[xxiii] 岡田温司監修『ジョルジョ・モランディ』FOIL、2011年、147頁

[xxiv] 同書(xx)、同頁

[xxv] 大野芳材・中村俊晴・宮下規久朗・望月典子『西洋美術の歴史 6

 17〜18世紀』中央公論社、2016年、635頁