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モランディ論

第3章 平坦さの系譜

 

 本章では、主にモランディの風景画について考察する。静物画家という一般のイメージとは裏腹に、モランディは意外にも多くの風景画を制作している。作品数から言えば、1944年までに描かれた静物画の数は、風景画よりもわずかに多いだけであり[i]、モランディにおける相対的な風景画の比重は大きい。したがって、作品変遷において、決して静物画だけが単体として単線的な変遷を果たしたのではない。むしろ、静物画の成熟は風景画の変遷との並走関係にあったと考えるのが妥当であろう。また、風景画の重要性は作品点数の観点からにとどまらない。作品評価においても、時には静物画以上にモランディの特質を示すものとして、風景画は評価されてきた。モランディと人並み以上の友好関係にあった美術史家ロベルト・ロンギには以下のような記述がある。

 

「モランディは自分の道をひたすら進んできたが、1943年の風景画で彼はまさに頂点—それが彼の絶頂であったと考える—に達したと思われるが、不幸にも、それは戦争中のことであった[ii]

 

 これは1966年のヴィネツィア・ビエンナーレでのモランディの死後、初めて開催された回顧展の図録序文の一文である。ロンギが最も評価し、まさに頂点と振り返った作品が静物画ではなく、風景画であったことは、モランディ研究における風景画分析の重要性を端的に示しているだろう。

 

第1節:中途半端な距離

 

 初期の形而上絵画とアカデミズム教育を踏襲した風景画を除いて、モランディの風景画の造形的特徴を画家の全体の作品変遷から照らし出そうとしたのは、モノグラフを執筆したフランチェスコ・アルカンジェリであった。画家自身の逆鱗に触れてしまった言説ではあったが、定型と不定形の二元論によって、作品変遷を分析する方法論自体は、岡田温司の評論においても、モランディのある本質を突くものとして、議論の下敷きにされている。

 岡田はモランディのアクチュアリティ/非アクチュアリティをめぐる文脈において、ある時期に確かに見られるアンフォルメル的な抽象と具体の中間を縫うような作品分析のために、アルカンジェリにおけるモランディ評(定型-不定型)に言及する。アルカンジェリは「最後の/究極の自然主義」という名の下に、特に1929年から36年までの風景画に見られる堅固な構図を持った定型とは対立する、不定型の作品を積極的に評価する。「最後の/究極の自然主義」とは「秩序や調和、比例や自己組織化としての自然ではなくて、生成、混沌、物質あるいは肉(ときにはスカトロジー的でさえある)としての自然[iii]」の描出であり、その特徴はアンフォルメルに限りなく近い。岡田はここで最も重要な鍵を握る画家として、エンニオ・モルロッティの名を指し示す[iv]。実際に、モランディとモルロッティの静物画、風景画(図1、2)の比較には互いの類似点と影響関係が直接的に見ることが可能である。これらの風景画はモランディの透き通った空気と静寂した空間を描き出す静物画とは大きく異なる傾向を示している。揺れ動く筆触と、際立った筆致、そして、ネオプラトニズムの流出論的イメージを喚起させるようなストロークの応酬。確かに、1928年から30年代にかけて、モランディ作品がアンフォルメル的な傾倒を見せたことは一定の留保のもとに、認めることができるだろう。 

 しかし、このアルカンジェリ=岡田による見通しの上で風景画に目を向けたとしても、私たちはすぐさまにある違和感を発見してしまう。それはモランディのもつ対象との独特な距離感である。その距離感について、ミラノ市古代・近代・現代美術館館長であったメルチェデス・ガルベーリは以下のように説明している。

 

「それは崇高さ無限性の感覚を示唆するほど遠くではなく、(中略)かといって、視覚が分析的、レンズ的になってしまうほど近くでもないのである[v]

 

 カスパー・ダーウィット・フリードリッヒ《雲海の上の旅人》(1818年)のように自然の崇高さを描くロマン主義でもなく、レンズを通した観察に基づく自然主義でもない。モランディと対象との間に存在するのは、崇高と理性の二項対立には当てはまらない、いわば中途半端な距離なのである。例えば、筆者が中途半端な距離を読み取るのは以下のような作品に対してである。1936年《風景》、1943年《風景》、1954年《ファンダッツァ通りの中庭》、1960年《風景》(図3、4、5、6)。これらの作品に共通するモティーフは、白い壁面ではないだろうか。グリッツァーナの山上に見える小さな家屋の壁、あるいはファンダッツァ通りに面した自宅の中庭を遮る壁。壁の不在を仮定するとすれば、画面全体は流動的なアンフォルメルの様相を呈することになっただろうし、実際にアルカンジェリの分析はそれを基にしている。しかし、そうであれば、なおのこと、観者の目は他の部分からは独立したような、壁の描出に目を向けられてしまうのではないだろうか。全てが流出論的イメージに押し流されることをどこか、同一画面の中で、食い止めることのできる場所。観者が不安な目の遊動を鎮める視線の拠り所を求めるのなら、あの白い壁にたどり着くのである。これまで、この視線を画面に留めておく、白い壁の描出については、概ね二つの方向によって解釈されてきた。

 

「これらの家は、定理の示すための幾何学図形のように、対角線の周囲に配置される堆積物のように見えるのだ[vi]

このように荒い筆触ではあるが、幾何学図形や対角線の利用によって、絵画空間に数学的な構築性を読み取るもの。あるいは風景画に見られる、あらゆる要素の単純化に、対象を円錐と円筒、そして球に還元するという、ポール・セザンヌの理念の影響を読み取るというものである[vii]

 

 結論から言えば、筆者はいずれの立場も取らない。まず前者においては、1941年の《風景》(図7)が例示されるのだが、画面中央、左右にある家屋の白い壁を幾何学図形として捉えるには図形としての正確性にあまりに欠ける。また、画面の構築性を確保するために、家屋の壁は白く無表情な色面として描かれているとは言い難い。次に、セザンヌの有名な理念の影響に関して、モランディの静物画や、ごく初期の作品にはセザンヌの立体抽象による形態把握が援用されたのは確かであるが、風景画においてはどうか。むしろ、白い壁は徹底的に平坦さを保持しているようである。間違っても、家屋の白い壁から立体図形を想起することはできないだろう。純粋に視覚的な判断に従えば、それは薄い表面をもつ、白い平坦な壁[viii]でしかないのだ。また家屋に一つの量感(ボリューム)を指摘する言説も見受けられるが[ix]、例えば、上記の作品では、家屋そのものを一つのまとまりとして捉えるよりも、家屋の正面の壁のみが白く強調されていることに注目すべきだろう。

 

第2節:窃視的平坦さ

 

 モランディは1930年代から風景画(多くはグリッツァーナの自然、あるいはボローニャの自宅の窓から見える中庭の風景)を描き始める。ボローニャの自宅の窓、グリッツァーナのアトリエの窓から見える風景を描く際に、画家はときより双眼鏡を覗いていた。モランディ像を形作ったモノグラフの著者であるチェーザレ・ブランディやアブラモヴィッチはその著書の中で、双眼鏡を覗いたモランディについて記している。

 

「まさしく1940年代の風景画にあって、双眼鏡を調整することで、はじめは曇っていたイメージが裸眼では見たことのない剥き出しの明晰さで現れたとき、そのヴィジョンは驚きに満ちたものだった。ただしそれは(中略)、情動の再構築なのであった。[x]

「モランディがそれぞれをより近いかあるいはより遠くに離れてという、わずかに異なる視点から描いたことは判るのである。時には双眼鏡までも使用したのであった。[xi]

 

 時にモランディは肉眼では見えない距離にあるものを双眼鏡だけを頼りに、描くことさえあった。肉眼で捉えられる遠近を度外視した双眼鏡というレンズを媒介とした視点は、モランディにとって驚くべきひとつの発見だったはずである。目に見える風景や、目の前に並べられた瓶や壺をその目で凝視することで作品を作り出していた画家にとって、ファンダッツァ通りに面した閉塞的な自宅の窓からはるか遠くに眼を誘う双眼鏡は画家に新たな視覚経験を与えることになった。おそらく、人間の眼という暗箱の拡張として考えられる双眼鏡の特徴はひとつの限定性に依るものだろう。それは対象のある一点に収斂されていく視界の狭さである。双眼鏡はその限定性によって画家に拡散する肉眼視の世界の混乱を鎮めるひとつの視線をもたらすのである。

 レンズに映る自然は遠近を認識するための周囲との連関性から切り離されることで、必然的に平坦さを帯びることになる。この双眼鏡を通して見える視界の狭さと対象の平坦さをモランディは筆触の厚塗りによって画布上に再現していく。平坦さと平面性を区別するとする。クレメント・グリーンバーグによって定義づけられたモダニズム絵画の条件としての再帰的な絵画の平面性[xii]に対して、モランディの風景画には塗り重ねられた筆触の集積による画布上での物理的な絵の具の凹凸を目にすることができる。水平方向の視線を垂直に遮断する絵画の平面性は、私たちと世界との有機的なつながりを断絶する、きわめて人為的な壁として立ち現れる。この壁としての絵画平面は造形上の作用を意味するものではない。絵画芸術を規定する媒体性こそが平面性なのである。上部構造を画布上の造形に関する所作とすれば、その下部構造として、絵画を物理的な存在として成立させている媒体性が平面性であると定義できる。

 モランディの風景画に絵画の媒体としての平面性を発露するような意図は見られない。平面性に対して、筆触に厚く塗り固められたメチエ的な平坦さを区別すれば、モランディの作品は初期の形而上絵画を除けば、平面性ではなく筆触を塗り重ねた平坦さをもっていると言うことができるだろう。したがって、本稿では風景画における窃視的な視点と、そこから生まれる造形上の平坦さを合わせて、窃視的平坦さと呼ぶことにする。

 先の白い壁面の描出原理の問いに立ち返れば、それは風景画の中途半端な距離と家屋の白い壁面の平坦さ結びつける視座であり、すなわちモランディの双眼鏡を通して経験した窃視的な平坦さなのである。前述した通り、遠くにある物体を観察し、その細部を繊細に描くために利用される双眼鏡が、ここでは周囲との連関性を失った平坦さを表出する道具として、風景描写に採用されている。周辺の風景へのまなざしとはるか遠方の家屋の平面が、3次元空間を成立させている絵画内で、適切な距離の補正を経ないまま、私たちの視覚を遮るような壁として出現してしまう。この倒錯的な視覚状態で風景画が描かれるために、その風景は中途半端な距離に置かれ、幾つかの家屋の白い壁は特権的に色彩を得、その平坦さを際立たせるのである。

 本節ではモランディの双眼鏡を通した視覚的経験を根拠に、周囲の連関から切り離された家屋の壁が必然的に帯びる平坦さを、窃視的平坦さと呼んだ。またそれは同一画面内では、周囲の流動的なフォルムを画面内に留めておくための平坦さでもあった。次節では、静物画、晩年の水彩画を対象として、それぞれ指し示す段階は異なるものの、「平坦さ」という点で共通する先行言説をみていくことにする。

 

第3節:平坦さの系譜(「平板さ」)

 

 筆者が指摘した「平坦さ」の描出は決して、風景画において、あるいは本論文のみにおいて見出される特異な視点ではない。最後に「平坦さ」をめぐる先行言説である岡崎乾二郎、中島美緒の指摘を参照しながら、それらに作品ジャンルの越境と時間的変遷における連続性を見出して、第3章を締めくくることにする。

 

 本章では前節までに、風景画に見られる白い壁面の平坦さを、周囲との連関関係とは切り離された、窃視的な平坦さと形容した。それに対して、岡崎は主に、1930年代以降の静物画を念頭に置きながら、瓶や壺の存在がもたらす、「平板さ」と奥行きの消去について以下のように批評する。

 

 「絵画が絵画でありつづけるのは(存在理由は)、決して三次元空間に還元できない(三次元空間の延長=侵入を許さない)平面に留まり、その場面に沈着するゆえんである。(中略)『平板さ』とは、侵入不可能な閉鎖された空間-ゆえにそれは充実しているだろう-がそこに確かに在ることを示す、物質的徴候=表情である[xiii]

 

 多分に概念操作的な記述ではあるが、個別的なモランディ論から絵画の存在条件に至ろうとする指摘であり、かつ私たちはここでも「平板さ」が問題に挙げられていることに着目しなければならない。モダニズム絵画がその条件として求めた平面性を前提としながらも、それとは区別されるものとしての「平板さ」。決して、配置されたオブジェが平板なのではない。オブジェが作り出すはずの、あるいは絵画が本来的に仮構するはずの奥行き空間をオブジェらの集合によって、あるいは図と地そのものからなる絵画自身によって、画面そのものを隠蔽してしまう。その際に現出する「平板さ」なのである。

「平板さ」=知覚のバリケードは単なる比喩としてだけではなく、具体的な造形的特徴として指摘することができる。画面空間において再帰的に侵入不可能性が演出されている幾つかの作品においてである。例えば、1962年の《静物》(図8)や翌年の《静物》(図9)に描かれる瓶やペルシャ壺がもたらす効果は、内部空間への侵入を封殺する壁面の平坦さではないだろうか。チェーザレ・ブランディ流[xiv]にモランディと擬人化されたモデルたちの物語に従えば、肩幅のある二人の門番を目の前に、不可能性に抗おうと、内部への侵入を図ろうとする健気な訪問者。ここにアルベール・カミュの短編『法の門[xv]』の寓意を想起してもいいだろう。男は門の中へ入ることを自らの意志によって、その直前で踏み止まる。抽象化された監視者に従う、この寓話のもつ規律訓練型の権力構造は、モランディの抑制的な制作姿勢と共鳴するのではないか。モランディは絵画の奥に、あるいはデカルト的空間の手前で、自らの侵入を抑制する。モランディのみならず、観者である私たちさえも絵画の内部に、その奥に侵入することができないかのように。

 岡崎が批評的に絵画における「平板さ」として述べようとしていることを言い換えれば、それは原理的に分離してしまう図と地の関係であり、図と地の距離的な差異をいかに無化しうるかという問いへの一つの応答である。モランディだけが絵画において成し得た、福音的な図と地の融解こそ、岡崎が「知覚のバリケード」と呼んだものなのである。今や、絵画の秘密は神聖な空間を錯視的に演出するイリュージョニズムにでも、それを逆手に取り、知的に遊ぶトロンプ・ルイユにでもない。さらには絵画の条件としての平面性を擬態する平面的な描出にあるのでもない。複数に分裂する絵画空間を絵画的「平板さ」に導きうる図と地の一体化にこそあるのだ。

 しかし、岡崎の批評に依拠し、これまで述べたことは、いささか大雑把な印象を与えるかもしれない。以下、モランディの実作との距離を回復し、中島美緒が「皮膜(ヴェール)」と呼ぶ、40年代代以降の造形的特徴を参照しながら、晩年の水彩画までを連続性をもった形で、「平坦さ」の観点からまとめていくことにする。

 

第4節:平坦さの系譜(「皮膜的」)

 

 中島は40年代以降の風景画の特徴として、マティエールの希薄化を指摘する。

 

「薄塗りの絵具はときに画布の織目や地色さえもあらわにし、さらには画布の織目・地色を非物質的なイメージのレベルへと吸収して、物質/非物質のあわいを漂うような特異なマティエールをつくりだす[xvi]

 

 イメージを形成するために、実体としてあるはずの絵具やキャンバスまでもが不確かなイメージに蒸発してしまう。中島によれば、実体を限りなく排除した空虚がそこには充溢している。空虚の充溢。また、同年代における静物画の瓶や壺の輪郭や背景部分は、絵具が薄塗りになり、淡い筆触とキャンバスの麻布の肌理が透過性をもって、イメージ生成に取り込まれていく(図9)。あるいは「水面に映る影像のような厚みを欠いた絵画空間、「皮膜(ヴェール)的」なマティエール、ボヌフォワが「入り込むことのできない」と形容した非貫通性の絵画空間[xvii]」である。通奏低音として、透明/半透明をめぐる美学的な文脈への接続を喚起させながらも、厚みを欠いた絵画空間という逆説的な言い回しには、岡崎における「平板さ」との類似を見出すことができるだろう。ただし、中島のそれは知覚のバリケードに及ぶほどの壁面としての強度を持ち合わせてはいない。むしろ、それは今にも絵画表面から揮発しそうな、浅薄な色彩の皮膜(ヴェール)なのである。

 

 再び、図と地の観点から分析すれば、端的には60年代の水彩画

(図10)において、描かれる抽象形態は何かの地でもあるようだが、瓶や壺の名残を感じるのなら、やはりそれは限りなく、図と地の臨界面に接近した、図であると言っていいだろう。一方で、白い画布の不可視的な表面は地の役割を演じている。ただし、その図と地の関係は反転可能なものではない。本来、反転図像を可能にするのは図と地が、隙間なく互いに結合され、かつ独立している完全な構成を持つ図像の場合である。しかし、今や、一般的な図と地の関係性は失われている。図と地は垂直的な浸透作用によって、イメージの原初的な発生過程を私たちに提示する。岡崎による「平板さ」はその板としての存在根拠を、画布とイメージの一体化、あるいは図と地の合致に求めていた。つまり、二つの重ね合わせと接着が「平板さ」の安定性を支えていたのであるが、中島の「皮膜」、そして60年代の水彩画においては、その安定性の担保は存在しえない。なぜなら、図と地は判定不可能な領域にあるからだ。水彩画において、実体が限りなく希薄化されることで、非実体であった影像は地=図として両義的な位相に出現せざるをえない。すなわち、モランディの水彩画への収斂を目の当たりにする時、観者はそれを実体と非実体という非対称性によって成立していた図と地の関係で十分に説明することができないのだ。一般的な図と地によって説明のできない水彩画において、現出されたイメージはいかなるものか。それは蒸発していく実体であり、残余としての影であった。さらに言い換えれば、図と地の二項対立そのものが画布から剥離し、無化された後に、まだその余白に蒸留する平坦な色面なのである。

 図と地の対を、オブジェ(実体)とその影の対に言い直す必要があるだろう。《静物》(図11)のような水彩画では油彩画以上に、オブジェと影が等価性をもって描かれている。オブジェ部分には不可視の画布の白が表れ、地であった影のみが青紫の色彩を帯び、観者の視界に浮上する。いわば、水彩画においては、常にオブジェに従属するはずの影がかりそめにも主体的に振る舞っているのだ。影の及ばない領域に、例えば、取っ手の存在が仮構される。実体のないものに、実体が依拠するという「虚実の反転現象」がここに伺える。このように実が虚を生み出すと同時に、画面内では、虚によって実の存在が可視化される現象は水彩画において、顕著である。他の作例《静物》(図12)においても、影の存在がオブジェの実在を支えている。注ぎ口を中心にして、左右に白黒の淡い対比の下、中心からやや外された小さな器の存在は背後に迫る影なくしては、画布とほとんど判別不可能なものになってしまうだろう。図と地の観点からすれば、反転画像ではない形で、イメージとその土台の反転現象が起きている。しかも、その土台は安定的な画布ではなく、移ろいやすい影なのである。「虚実の反転現象」の極致とも言える、モランディの晩年の作品《静物》(図13)では、影の描写は前面化し、実体は画面の外側へと蒸発し、消失してしまっている。

 後半部で述べてきた、図と地、実体と影の対比と、前半部の窃視的平坦さや「平板さ」そして「皮膜的」という造形的な変遷は必然的に重ね合わせることができる。平坦さの系譜を振り返れば、グリッツァーナの白い家屋の壁、あるいは自宅の中庭を覆う壁面の平坦さから、静物画においてバリケードを張り、奥行き方向への潜在的空間を封鎖する平板さへ。そして、40年代以降、さらには60年代の水彩画に見られる、薄塗りによる揮発性の皮膜(ヴェール)へと純化を果たす。この平坦さの過程が必然的に瓶や壺の実体性が失われていく過程であったことは前述したとおりである。

 壁から板、そして膜への変遷と同時平行的に、実体の希薄化と影の前面化が生じる。この二つの純粋化の果てに、晩年の水彩画が位置することは、モランディにおける絵画とは何かという問いへの応答を可能にするだろう。モランディは目の前にある瓶や壺の実在性、確からしさを再確認するために、静物画を描いたのではない。絵画を通して、モランディはあることの不確かさと、ないことの充実を描出したのだ。つまり、何もないところ、具体的には影から、あるいは瓶や壺の隙間から、ある存在が顕現すること。反復的な絵画制作を通して、モランディは出現を生み出す、その過程を自らの絵筆によってなぞり、このあまりにも不確かな虚への驚きを表明する。瓶や壺が存在することの手前にある、出現することの神秘をモランディは無限の変奏の中で、観者である私たちとともに、追体験するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[i] 風景画は油彩約1400点のうち4分の1を占めており、1940年から  

 44年までを例示すれば、以下のようである。(カタログレゾネ第二

 版)

 1940年 静物21点 風景14点

 1941年 静物34点 風景31点

 1942年 静物44点 風景17点

1943年 静物45点 風景24点

 1944点 静物7点 風景3点

[ii] 岡田温司監修『ジョルジョ・モランディ』FOIL、2011年、44頁

[iii] 岡田温司『モランディとその時代』人文書院、2003年、198頁

[iv] 同書、196頁

[v] 『モランディ展』神奈川県立近代美術館、1989年、15頁

[vi] 同書、同頁

[vii] 『ジョルジョ・モランディ:終わりなき変奏』東京ステーションギャ

 ラリーほか、2015年、129頁

[viii]美術手帖』美術出版社、2008年8月号、38-39頁

[ix] 同書(ⅶ)、同頁(ⅶ)

[x] 岡田温司編『ジョルジョ・モランディの手紙』みすず書房、2011年、

 185頁

[xi] 同書(ⅴ)、199頁

[xii] クレメン・グリーンバーググリーンバーグ選集』藤枝晃雄訳、

   2005年、62-76頁、「モダニズム絵画」

[xiii] 同書(ⅱ)、146頁、147頁、「知覚のバリケード

[xiv]岡田温司編『ジョルジョ・モランディの手紙』みすず書房、2011年、  

 328-330頁、チェーザレ・ブランディ「壜たちの反乱」

[xv] 池内紀編訳『カミュ短編集』岩波文庫、1987年、9-12頁

[xvi] 中島水緒(2016)「沈黙の形態―1940年代のジョルジョ・モランディ 

 (後編)」

 <http://nakajimamio.sakura.ne.jp/text_note_morandi_2.html

[xvii] 同論文、(後編)