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一人で静かに。

一人でいることが出来ない。騒がしい音楽や動画で、耳を満たしていないと、孤独に耐えられない。一人で夜空を眺めたことを覚えているだろうか。音楽は素晴らしいと皆が声を揃えて言う。ある動画は抱腹絶倒だと、忽ちに共有されていく。皆孤独になることを恐れている。孤独は良くないことだと、思い込んでいる。そのせいで、自分が現在どうしようもなく孤独であると感じるときに、自殺という言葉が頭を過ってしまう。孤独は悪でもないし、何も社会から批判されるべきものでも到底ない。全ての宗教、芸術は一人でいることの孤独から生まれるように思えるほどに、孤独は神秘的なものである。何もかもが共有し、されることが個人の価値を社会に表明する最良の手段であるかのように、共有は一面広告を飾り、私たちを魅了する。共有によって生まれたものは、快適性を追求したものなのである。より合理的に無駄なく、より多くの人が、同じ情報に触れ、機会を均等にする。情報に接する母数を指数関数的に増加させるにはもってこいの手段である。この多くは容易にビジネスに応用される。共有は母数を増やすこと。私たちが共有された情報をさらに、共有する。私たち自身が担い手となって、つまり個人個人が無数の広告塔になることによって、ビジネスは加速する。その広がりの中で、かつてなくお金が生まれる。この共有によって、これまで享受できなかったサービスをより多くの人が享受できる機会は限りなく増加した。私たちは自分が共有したものによって、自分の個性を発信していく。しかしその個性は限りなく、透明化して、他者と区別のつかないものになってしまう。なぜなら、個性を構成するどれもが、自分の手で創造したものではないからだ。自分はどこにあるのか。自己の存在証明はさておいても、人は自分が確かに存在する証明を求める。孤独のうちで、自己の身体と心を直視しなければいけない。そうして自分の手で、無から有を生み出さなくてはいけない。さもないと心の拠り所を失ってしまう。

 

小雨の中で一人中央線に揺られていると雨粒の窓に滴る音々とアスファルトに衝突し粉砕されていく映像を思い浮かべて僕は孤独である悦楽を感じる。同じようなことがリンドバーグ夫人の「海からの贈り物」に書いてあった。

 

海からの贈物 (新潮文庫)

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