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最近のある1日の日記

ビッグ・アイズ ワタリウム美術館 坂口安吾 夏目漱石

ワタリウム美術館に行った。ちょうどその日は、石川直樹さんと奈良美智さんのトークがあったせいで、受付の前に長蛇の列。そもそもワタリウム自体小さいのに、こんなに混雑していたら、ゆっくり見れないので、展覧会は諦めて、地下の本屋を物色。庭園の美術。メタボリズム。磯崎 新。丹下健三全集。が目につくも、金額を見てまた諦める。一万円の予算の中である。寺山修司とシュタイナーの本棚は相変わらず、危うく、魅力的である。シュタイナーノートは5000円越え。寺山修司はどこから手をつけていいのか分からない。天井桟敷の時代を生きてみたいと思ったが、寺山はもういない。もう言えば、三島由紀夫をもういない。岡本太郎もいない。猛獣はみんな死んでしまって、猛獣使いだけ残ったのか。動物のいない動物園。みんな鞭を使う対象を探して彷徨いてる。妄想が広がる。結局、シュタイナー棚にあった、シュタイナー教育に関する実践書を1800円ほどで購入。きっとワタリウムにしか置いていないだろう、角ばった真面目な本である。

watari-um, Naoki Ishikawa, Yoshitomo Nara, Photo

家系的に、教育に興味が湧いてしまうのは、簡単に説明できてしまう。特に父方の家系は教師揃いだ。図工美術、数学の教師。花道の先生。いづれ自分もその道に関わろうとしてしまう気がするけれど、それは血の遺伝というよりかは、やっぱり精神的な遺伝が大きく関与しているように思う。僕には規範意識がとてつもなく染み付いてる。少しでも法に触れるような行為には細心の注意を払う。その先の暴力に怯えている、生まれたて小鳥のようなもので、なかなかそれから逸脱できない。この規範性と芸術という相反するもの同士の矛盾の中に、僕の家系はあるような気もする。規範的にありながら、逸脱することはやはりできないのか。この葛藤は僕自身の思考を支える背骨のように、根本的に思考の身体を支えているのだから、簡単には捨てることは到底できない。でもその状態で、いくら身体を動かしたところで、やはり背骨に制約を受けてしまう。僕の最近のテーマは家系をどう考えるか、である。一つ思うのは、家系的な遺伝は背骨としてあるのなら、脚を使えばいい、ということだ。背骨が不動のものとして、バベルの塔のように天上まで続いていても、僕は人間であり、一つの身体を持っていて、その身体を動かすのは手でも、顔でも、腰でもなく、この脚には違いない。多分、ヒントは脚的なものにある。ホモ・サピエンスのロゴスを司る脳でもなく、脚。二足歩行を可能にした、大腿四頭筋辺りかな。下半身的なものとも異なる、脚的なものの研究をしよう。物理的にではなく。抽象的にだ。思考の大腿四頭筋を探す旅路の始まりの音頭をほのかに感じる。こんな風に僕はいたって楽天的であり、都合のいい多視点屋である。人を死のうと思わせる、社会の表層が確かにあって、そこから抜け出せなくて、自殺をしそうになる人を救うものが、一遍の詩だったり、脳内にかすかに聞こえた言葉であったりするのは、きっとそういう理由によるのだろう。つまり嵌ってしまった土坪から、認識的な逃亡、というより解放を、その詩が自らを死すことで、促すような力能があるのだと思う。異なる認識の発見で、人は救われる。本来は偶然的なその発見は、神によって絶対化される。神はその発見を絶対化するのである。そう考えると、多視点屋は神に近いのか。笑
まだワタリウムの本屋での妄想までしか、書いていないことに気がついた。日記を進めよう。時間も進むのだから。ワタリウムで一冊購入後は、そそくさと外苑前を歩いて、これまた地下にあるリブロに入って、夏目漱石「倫敦塔」「坊っちゃん柄谷行人さんの坂口安吾論を購入。言文一致最中の、夏目漱石の倫敦塔との邂逅を描く倫敦塔も坊っちゃんも朗読しながら、常に遅延させながら読んでいきたい。柄谷行人さんの安吾論は戦後の坂口安吾文学を読み解くテキストとして良さそうだったので購入。堕落論から続堕落論に描かれる戦前と戦後の日本人の変わりよう。これは「笑い」論に繋げたいと思う。リブロの扉前で、押し花を展覧している、作者の老人の丸みを帯びたなで肩を見ながら、地上へと戻る。

 

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫)

 

 

 

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

坂口安吾と中上健次 (講談社文芸文庫)

 

 


立川まで急速に時間感覚を鈍らせて到着した僕は、レイトショーで、「ビッグ・アイズ」を観た。2、3日前に封切りされたばかりなのか、遅い時間の割に客は結構入っていた。実話だ。ポップアート全盛期に妻の作品(ビッグ・アイズ)を自作のものとして、売り飛ばし、一躍時の夫婦そして億万長者にまでなるのが前半のストーリー。後半は妻の復讐劇で、最後は裁判で夫婦の直接対決になり、夫は敗訴、妻の大勝利で終わる。後半でハワイに移住した妻と娘がエホバの証人に入信するところが、大変穏やかなシーンになっていて、笑った。ハワイの穏やかな昼下がり、レモンスカッシュを片手に、信仰を深める親娘。物語全体としては、馬鹿で狂気な夫と戦う(ダメンズを愛する)母と娘の絆を描いていて、大事な場面で必ず親娘が手を重ね合わせるところが印象的。退屈でもなく刺激的でもなく、いい映画って感じでした。見て損はしないはず。


ティム・バートン監督最新作『ビッグ・アイズ』予告編 - YouTube