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人に向かって話してこそ、生命。

話し言葉と書き言葉。同じ言葉にも二つあるということだ。同じ言葉を話すのか、書くのか。二つの方法は結果として、異なる作品になり、異なる意味を生むことになる。

独特な味を魅せる小林秀雄の講演集はやはり、他の評論集とは異なる意味が立ち上げっているように思う。目の前の学生に向かって話していくうちに、未知の自分の中へと分け行っていく。その中で、異なる言葉が使われる。新しい言葉ではなく、異なる言葉が使われる。あるいは同じ言葉が新しい文脈の中で使われる。

誰かに向かって話しているのかを考えると、人の言葉は変容する。まずは言葉遣いが変わり、言葉の形が変わると、私自身の思考も、形に引き寄せられて、少しずつ変容していく。脳内にある、一つの運動体がもそもそと、生命の根源である、「変化」を始める。動き始めた運動体は、何も身体的な変化はないのに、その内部に満たされている言葉の位相が大きく流動し、衝突し、合成されていく。

何かを考えたり、もの思いに耽る時に、私の頭はどうなっているのか。きっと、私自身がもつそれぞれの言葉の位相を確かめているのだと思う。言葉の整体のようなものだ。骨格と異なって、元から正しい位置があるわけではないから、人は困惑する。それでも動かし続けて、生命であり続けなくてはいけないし、それを人は望む。どこかに偏り過ぎても、小さくまとまってるだけでも、運動体は凝り固まってしまう。常に、言葉の位相を確かめ、点検する。その時に、必要なのは、まずは人に向かって話してみること。他者を意識して、話す。そして、半強制的に、自らの言葉の枠を飛び越えていくことだ。

 

学生との対話

学生との対話