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表現の自由の前に、爆発的な笑いを ユーモアを

シャルリを巡る表現の自由の問題は、思考のレッスンにちょうどいい。一連の事件は私たちの生とほとんど不可分な表現について本質的なことを問うているからだ。
他人の尊厳を傷つけてはいけない。他人が信仰するものを侮辱してはいけない。此の他にも社会には許されない行為が多く存在する。それはいくら表現の自由が認められるべきであろと、関係なしに、人間関係には禁忌的な領域が確かにある。2006年ドイツW杯決勝でジダンが頭突きをしたのも、マテラッティの発言がその領域に侵犯してしまったからに違いない。その領域は、人類共通か。それは文化や慣習、そして時代によって大きく異なるだろう。裸で男女が宿屋から出てきたのを目撃して外国人が仰天したという、江戸時代の話もあるように、日本という同じ国でさえも、時代によって、その領域は変化する。もちろんそれはこれからも変化していく。

とここまでの話はこの後の内容には関係ありません。

 

シャルリの過去記事の中には、悪ふざけで、侮辱に近いように感じるものもある。でも僕がシャルリの事件をみる時に、日本のメディアは襲撃さえもされないような、穏健派的すぎることを実感する。シンプソンズのようなコミックアニメもそうだけど、日本には全く存在しない。日本において、権威批判をする場合は真面目にしたたかに攻めるパターン。または、ヘイト的に過激になってしまうパターンしかない。風刺をかますのは学生新聞ぐらい。風刺やユーモアが存在しないこの国のメディア環境は、やはりヘンテコだ。日本では笑いはテレビの中に、それもお笑い芸人がつくるものという、限りなく狭い場所に追いやってしまう。日本のお笑い文化は確かに、独特であり、素晴らしい。

 

ザ・シンプソンズ MOVIE- 町山智浩「アメリカの時事ネタなので日本人には解説必 ...

 

でも、それだけではこの先、先細りでひたすら精密に貧しくなってしまう気がする。

この国は笑いが溢れているようで、それはテレビの中だけ。それも限られた時間帯、チャンネルの中でしかない。ユーモアが圧倒的に不足している。

もっとユーモア観の拡張をしたらいい。

この日本人のユーモア観についてはもう少し、また考えてみたい。