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同時代カルチャーをレビューするブログ

青と黒と透明 - 最果タヒの色彩感覚をめぐって

             「瞳の中に暮らすことが、恋することだ、恋されることだ。」

                (最果タヒ×今日マチ子「ライフ・イン・マイ・ヘッド」)

 

夜空はいつでも最高密度の青色だ」。多くの読者あるいは論者はそれを青色であると思っている。なぜなら、その言葉が「青色の詩」のうちに置かれているからだ。しかし、本当に「夜空」はあの青色なのだろうか。

 最果タヒは第13回中原中也賞を受賞した『グッドモーニング』以来、詩集としては『空が分裂する』、『死んでしまう系のぼくらに』、そして『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を刊行するとともに、漫画誌での連載やイラストレーターとの共作、さらには小説まで、脱領域的な活動を展開する詩人であり、作家である。また最果自身はメディアに顔出しをしないために、匿名的な存在であり続けている。見えない作者の神秘性とネット世代の思春期をくすぐる詩篇は、現代詩内外から異例の支持を受けている。帯文によれば「詩の新時代を拓く」、最果タヒの詩としては最新作であり、初めての映画化作品が『夜空はいつでも最高密度の青色だ(以下『夜空は』)』である。タイトルの「青色」に象徴的なように、この詩集では最果の色彩感覚が鋭敏にも炸裂している。しかし、それゆえに、読者の理解を困難にしているようにも思われる。さらに驚くべきことに、その色彩に注目した評論もほとんど存在していない。すなわち、私たちの問いは明確である。「最高密度の青色」とは何か。原作『夜空は』とその映画をたよりに最果の色彩感覚を紐解いていきたい。

 最果は詩の視覚的な作用に意識的な作家である。例えば、デビュー作『グッドモーニング』におけるタイポグラフィー的記号表現、吉増剛造さえ思わせる余白(キーボード上のスペースの連打という吉増とはまた別種の身体的な運動が伴っている)はあたかも一片の詩と紙面が一枚の絵画のように構成されており、その画面構成に対する繊細さは近作にまで続く形式上の一貫性である。したがって、初期作より詩における視覚的な構成と配置に執着する最果が同じように視覚に作用する色彩に意識的でないはずがないのだ。私たちは『夜空は』のうちにも色彩表現を見出さなくてはいけない。それも3つも。前置きが長くなった、本旨に移る。

 『夜空は』は縦書きと横書きの詩が一見不規則に並べられており、その目次には不思議なことに名に「色」とついた詩がちょうど3つある。初めに置かれた「青色の詩」、次に「ゆめかわいいは死後の色」、そして最後に置かれた「黒色の詩」。「青色の詩」と「黒色の詩」は見開きの左頁に横書きされ、「ゆめかわいいは死後の色」は右頁に縦書きされている。縦書きと横書きの区別については、最果の言葉を借りれば、縦書きの文字列に流されてしまう視線を横書きの挿入によって「切断」する効果をもたらし、また、より具体的にはSNS上のメッセージのやり取りなどがイメージされる。語り手のモノローグを中断させてしまう不規則な切断は私たちを不安にさせるとともに最果の世界観へと誘導する。そしてその切断は冒頭、突然訪れる。「青色の詩」。

 

「都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。

 塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。

 夜空はいつでも最高密度の青色だ

 きみがかわいそうだと思っているきみ自身を、誰も愛さない間、

 きみはきっと世界を嫌いでいい。

 そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。」

          (『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、リトルモア、7頁、)

 

 前半3行、マニキュアを塗った爪の色を自分自身の体の内側に探していくと、ふいに遥か彼方の夜空へと向けられる視線の運動が面白い。自分自身のもち得ない色を探していたはずのきみが、夜空に見出す「最高密度の青色」。1つ目の色は当然のように最高密度の「青色」である。続く、後半3行ではきみと世界の切断とデタッチメントがはっきりと示されている。すると、中央に位置する「夜空」は唯一、世界へと開かれた窓のように読めるかもしれない。ただし、特に近作において、最果は安易な他者との恋愛や承認を一切排除し、むしろ突き放された関係性(死、好きと軽蔑の等価性)、互いに無関係であることに孤独と自由を見出している。この点には最果の詩と「切断」の時代との密かな同期が指摘できるはずだ。いずれにせよ、このような近作の傾向を踏まえれば、体の内側に爪の色を探していたきみの視線は外側の世界へと開かれ、きみとぼくとをつなぐ夜空を発見するのではなく、やはり、その「最高密度の青色」もいまだきみの体の内側にあると読むべきなのではないだろうか。おそらくこのような読解をもとに、映画「夜空はいつでも最高密度の青色だ」は製作されているが、その理由については後で述べるとして、次の縦書きの詩(一部)を読んでみることにしよう。「ゆめかわいいは死後の色」。

 

「生命感があふれるひとほど、フィクションに見える感覚。ゆめかわいいは、死後みたいな、色。今も、地上のどこかでは雨が降り注いで、瞳のいくつかは閉じられている。死ねと、いえば簡単に、孤独を手に入れられていた。きみをなでる透明の風に、いまさら、なりたくなんてない。」

                        (同書、10頁、(本文縦書き))

 

 一読した限りでは、この詩に具体的な色彩を指摘することはできない。死後の色も明示されてはいない。だが、ここでは色ならざる色として「透明」が定型的に示され、またまぶたの暗闇が間接的に仄めかされている。「きみをなでる透明な風」。当文は近作において最果が多用する定型文であり、また同時にそこに含まれている「透明」も『夜空は』において多用される表現(計6回)である。透明な水晶体があらゆる色彩の認識を可能にするように、あるいはカメラのレンズがそうであるように、最果の定型的な「透明」なるものも青や黒を映し出す媒介物であると理解することができる。「透明なもの」の含意については最果の場合、季節の変化のような周期的な時間性と深く関連付けられていることも指摘しておくべきであろう。短い引用ではあるが、もう少しだけ、この詩に留まりたい。閉じられたまぶたの奥に広がる暗闇=黒についてである。それは「瞳のいくつかは閉じられている」、そのとき、視界に現れる色である。では瞳を閉じている主体は誰なのか。最果の今作と前作『死んでしまう系のぼくらに』では共通して、単純化された人称、ぼくからきみ(読者)への発話、呼びかけの構図が採用されていることからも明らかな通り、「地上のどこかで」瞳を閉じているのはきみであり、それを読んでいる読者自身であると考えられる。したがって、ここで暗示されている暗闇は読者である私たちの視覚に向けられたものなのである。付け加えれば、「死ねと、いえば簡単に、孤独を手に入れられていた」という言葉には「青色の詩」同様に、きみと世界の切断とそれによって得られる孤独が示唆されている。「青色の詩」から始まった詩集は、切断に始まり、切断に終わる。「黒色の詩」。

 

「意味もなく燃えて、

 消えていくだけの命が、美しくないなら星だって同じだ。

 きみがいなくなって僕は生きるだろうとわかっていることが、

 ただの生命力で、エゴですらないことに悲しんでいる暇もなかった。

 眠る時間が長いひとは、産業廃棄物みたいなものだね。

 交差点は海のように、光を蓄えていた。

 好きだという言葉と軽蔑に、

 大して変わらない反応を見せるぼくの心臓。

 街の宝石はネオンでも星でもなく、

 ねむれないのに無理に閉じたきみのまぶたの奥にある。」 

                                (同書、91頁)

 

 『夜空は』の最後に置かれたこの詩では「青色の詩」における隠喩のより具体的な言い換えがなされている。なぜなら、おそらく「街の宝石は」から始まる最終2行は「都会を」から始まる「青色の詩」冒頭3行に対応する形で書かれているためである。「青色の詩」3行目の「最高密度の青色」を「黒色の詩」における「きみのまぶたの奥」にある暗闇に重ねるとすれば、ここでは2つ目の色、黒が有意的に暗示されるとともに、青色の黒への限りない近接を読みとることができる。また「街の宝石」が街のネオンや夜空のきらめく星にではなく、閉じたまぶたの奥にあることは、その所在が体の内側にあることも示している。もう一つ、この詩において、やはり指摘しておくべきは繰り返しになるが「切断」を生き死にまで極端化した「きみがいなくたってぼくは生きるだろうとわかっていること」という言葉である。振り返れば、『夜空は』では、交わりをもたない者同士(そこには自分自身をも含む)の肯定的な関係性が語られていた。「きみが生きていること ぼくには本当は関係がないことだ。」(「ひとの詩」)、「もう永遠に、次は聴けない音楽と、すれちがいたい(中略)今日の私は、昨日の私を、無視できるから美しい。」(「朝」)。次の瞬間には関係を打ち切ること。閉じられたまぶたは反復、習慣化される関係性の即時的な切断であり、それゆえに私たちは孤独になることができる。すなわち、まぶたを閉じたその奥(体の内側)にある黒とは「切断」を象徴する色でもあるのだ。

 3つの詩と3つの色、青と黒と透明。3つの詩を読む最中にも、すでにそれらは互いに関連し、複雑に絡み合っていた。以下では前段落において示された、まぶたの奥に広がる暗闇=黒と「最高密度の青色」の近接性を映画内表現によって補足し、次に黒と透明の共通性へと展開することで、青と黒と透明を三位一体的に結びつけたい。

 例えば、内側の黒への近接を映画における改変にみることができる。時代や舞台また登場人物、物語性は設定されていない原作に対して、映画では、時代は限りなく現在に近い2020年東京オリンピック前、舞台は渋谷と新宿、登場人物は二人の男女、全体は彼らを中心とした恋愛物語に設定されている。そして、おそらく最も重要な改変は池松壮亮演じる主人公、慎二の左目の視力が失われていることにある。映画の中盤、左目の視力を失った慎二の主観ショットがある。右側は渋谷の風景、左側は暗闇という画面を二分する数秒間。次第に、右側には慎二の連想した言葉の羅列が街の風景を埋めるように文字となって現れる。対して左側はいつまでも暗闇のままである。観客の視線は右側に釘付けになる。「ユリイカ」6月号掲載の評論家栗原裕一郎最果タヒはラブストーリーを書いたか」の論旨を援用するとすれば、画面を半分にする象徴的な意味は慎二の持つ日常性と死性の世界を視覚的に表現することにあったと、ひとまずは解釈できるだろう。すなわち、映画冒頭より建設現場の仲間たちの間に生じる沈黙を掻き満たすためだけに発せられる慎二の「無意味な言葉」と建設現場の厳しい現状(同僚の突然の死)とが彼の世界を半分にしていることを象徴するかのように、スクリーン上における画面の分割がなされているというわけだ。しかし、それだけだろうか。最果の色彩感覚を追ってきた私たちからすれば、塗った爪の色の代わりに体の内側にある最高密度の青色が、劇中、端的に表現されたショットこそ、画面分割における左側の暗闇に見えないだろうか。世界の半分は観客の視線が右側の記号的世界に向けられる中、時を同じくして、陰日向に映写されていた暗闇に表現されている。それは観客全員に見逃されると同時に、慎二の暗闇をぼく、あるいは他者から見ることができないという意味で二重の不可視性をまとっているのだ。まとめれば、慎二の左目の視力が失われている設定上の必要性は、最高密度の青色が体の内側にあることと二重の不可視性の具体的表現のためにこそあったと考えられる。したがって、石井裕也監督は夜空のような「最高密度の青色」が、ぼくが呼びかけるきみ(慎二)の内側にあることを鋭く読解し、映画化に際する設定に落とし込んだと言えるだろう。

 それでは、もう一方で、最果の詩における「黒」と「透明なもの」の使用はいかなる符合を見せるだろうか、確認していこう。「黒」とはどのような色か。厳密に言えば、まぶたを閉じた際にその奥に広がる黒は、スクリーン上の黒とはその認識の仕方において決定的な差異をもつ。後者は周囲の色彩、具体的には画面右側の渋谷の街との比較によって認識される相対的な黒、暗闇であるのに対して、前者の黒は周囲の色彩を欠いているがために、本質的にそれを黒であると私たちは認識することができない。相対的な黒に対して、最高密度の「黒」はそのような認識の不可能性をもっているのだ。美術史を知る者であれば、カジミール・マレーヴィチの代表作《黒い正方形》における絶対零度の黒を想起するかもしれない。「透明なもの」はどうだろうか。私たちはあるものの相対的な透明さを認識することはできるが、やはり黒と同じように、透明そのものを認識することはできない。私たちが認識する透明さは常に一定の不透明を含んだものでなければならないのだ。このような透明性とその認識不可能性についての議論は私たちを絵画の起原へと立ち戻らせる。ジャン・バッティスタ・アルベルティは『絵画論』の中で、絵画を世界に開かれた窓にたとえ、また、その伝統的モデルを引き継いで、オルテガ・イガセットは『芸術の非人間化』において、窓ガラス越しに見える庭そのものと窓ガラス上に映る庭の二つの分裂した視線との、その両立不可能性を指摘した。アルベルティの絵画論を踏まえながら、同書においてオルテガが絵画=窓「ガラス」モデルを提示していることは一考に値する。アルベルティによれば、ルネサンスを待たずとも、古代より画家が目に映る自然をそのまま描きこむためには、媒介物(平面)はその性質として不可視で透明なものである必要があった。逆に言えば、伝統的に画家の技術とは媒体の持つ性質(不透明性)そのものを鑑賞者に認識させないことにあったのだ。ただし、当然のように、絵画=透明な開かれた窓という想定は理念上でしかありえず、実際には画家はひとたび、外部の世界を曇りなく認識し描こうとすれば、必ず、平面の不透明性を発見することになった。言わずもがな、近代絵画のそのような袋小路はまさに窓ガラスと外部世界を同時に認識すること、すなわち近接視と遠隔視の両立の不可能性、あるいはその間に潜む奥行きを描き出す、ポール・セザンヌの終わりなき試作のうちにみることができる。

 以上より、透明の不可視性(アルベルティ-オルテガ)と黒の不可視性(マレーヴィチ、《黒い正方形》)の構造的な同一性が明らかとなった。最果のいう黒とはまぶたに隠されることで、ぼくからは本質的に不可視のものであり、透明とは不可視の周期的な時間を示すものであった。したがって、最果の黒と透明の扱いも、それらの本質的な不可視性において、アルベルティ-オルテガマレーヴィチの認識不可能性に当てはめることができるのではないだろうか。ここで、私たちは「最高密度の青色」に近接する黒と透明の構造的同一性によって、美しくはないものの、3つの色が三位一体として、最果の詩的世界を表しているのだと結論したい欲望にかられる。しかし、最後に私たちは冒頭の問いを反転させ、それに答えなければならない。つまり、なぜ、最果の色彩感覚は限りなく黒(=透明)に近接しながら、それでもなお「青色」と表現される必要があったのか。そして、最果の「青」は何に由来するのかと。 

 最後の問いにはこれまでの議論の見過ごしをつなぎ合わせることで応答してみたい。私たちは暗闇を瞳にもたらすまぶたについて、あるいは映画的表現においては、まぶたのように観客の瞳を閉ざしてしまう画面左側(スクリーン上)の暗闇について分析してきた。だとすれば、見過ごされた分析対象はきみの瞳、観客の瞳だけであり、それこそ、最果があえて「青色」と表現した理由の在りどころに他ならない。最後の詩「黒色の詩」に目を向ければ、5行目から6行目。産業廃棄物の発する、燃えて消えていくだけの目に見えない電磁波のイメージと海のように光を蓄える交差点とが重なり合う。まぶたで隠された最高純度の瞳は、海の最果てに堆積する廃棄物から、漏れるわずかな光によって、一瞬間きらめく。それは深海の色にも似た、最高密度の青色であったのかもしれない。最果はまぶたを閉じることで目に見えない暗闇を志向する、と同時に、閉じたまぶたのうちにわずかな光をも反射する宝石、瞳を見出そうとする。瞳の光。最果はそれでもなお光を見ようとしている。すなわち、青とは瞳に反映する光のことではないだろうか。

モランディ、岡田温司講演、兵庫県立美、メモ

 磨製石器のような上部の窪んだ白い板が示される。シャーラーという写真家が撮ったモランディのパレットである。わずかな濃淡を持つ白と縁部には赤と青がくすんでいる。限られた色彩とフレスコ画にも用いられる顔料の作り上げる芸術。ピカソよりも少し若いその画家は、変わり続けたピカソとは対照的に変わらない反復の中で、変わり続けた。それはドゥルーズの言うような差異と反復。眼前のモデルたちに向かいあう姿勢は決して抽象主義の現代作家ではない。メチエ的職人である。

 アトリエのテーブル上に残された無数の鉛筆線は瓶や壺の配置図であり、作品における厳密なる設計図、モデルたちへの舞台監督からの指示でもある。その中でも、最も愛されたモデルは、胸部に溝彫りのある瓶。裸のモデルは監督によって着色され、埃が堆積し、そして、画面の中で、演技稽古を受ける。その表情や身振りは自覚的に変化していく。寄り添ったり、そっぽ向いたり。配置が変わり、見る高さが変わり、影が変わり、色彩も、筆触も、塗りの厚みも、テクスチャーも変わっていく。綺麗に惹かれた輪郭線など、一本のない。演技に捧げられたわずかな差異の連続、それは一つの変奏。モランディは一度も、対象を類似的に再現しようとはしていない。反乱を起こしかねないモデルたちとの舞台稽古の連続。壺や瓶はそれぞれ個性を持ったキャラクターに見えてくる。ルネサンス期には人の影が人にかかるということは許されなかったが、カラバッジオがそれを打ち壊した。同じように、モランディもモデルの影がもう一人のモデルに降りかかっていく。どこまでが対象で、どこからが背景で、影はどこまでなのか。その境目は曖昧になっていく。おそらく光の調子を調整するために。影と光の融和から自生する曖昧さは版画にも見られる。

 光は白の変奏によって、表現される。マレーヴィッチ的な絵画の零度を宣言するための前衛的な白ではなく、ピエロやフラ・アンジェリコに見られる、白と白の描き分けからモランディは学んでいる。その主題や意味内容とは無関係に、造形的な価値を受け継ぎ、古典を敬愛した画家なのである。モランディ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、カラバッジオ。この三人を結ぶ美術史家がいる。造形的な評価によって、3人の画家をつないだ、ロベルト・ロンギ。古典から、特に初期ルネサンスからの伝統を造形的に受け継ぐ、モランディはモデルたちの配置を決め、彼の舞台を始める。しかし、すべてを意識下に置き、すべてをコントロールすることはできない。細かいタッチや色の厚みには、手の無意識での動き、言い換えれば、偶然性が必ず混入してしまう。この「脱自」体験を通して、彼の完璧なる舞台は私たちの眼前に示されるのだ。

 モランディの作品変遷は直線的に具象から抽象に向かったとは言えない。1930年代に画面に見られるざわめきはファシズム芸術の古典趣味に対抗するもので、1950年代の中心性はポロックを代表とするオールオーヴァーに対応するものであるというような解釈もあり得るが、モランディが同時代の美術動向に対して、闘争的であったかについては断定できないだろう。闘争的にではないにせよ、ボローニャという大学都市で、多くの美術史家批評家、芸術家と交流のあったモランディは、美術動向をよく把握していた。そのために、彼の静物画におけるオブジェの選択はかなり自覚的かつ計画的に行われていたのだろう。見た目の堅牢さと厳密なる設計によるモデルの配置からは建築のメタファーで説明されることもあるが、よく目を凝らせば、どんな作品も、常に、その細部において揺れ動いている。その不定形さはどこからくるのか。モランディが18歳の時に経験する父の突然の死は彼の芸術家人生に大きくのしかかっている。大いなるものの喪失は、若いモランディにパリ行きを断念させ、20世紀の他の前衛芸術家とはまるで異なった人生を歩ませることになった。喪失をする前に、今度は自ら、無駄なものを切り捨てる、喪の作業。

 

「たけくらべ」朗読

東大本郷での日本文学全集出版記念の講演会 http://t.co/iyMRoaxTfL に行った。川上未映子さん人気なのか男性はもちろん女性も半々ぐらいで大学生から結構なご老人(後に割と厄介)まで、、、面白い空間でした。 1部の川上さんの「たけくらべ」秘話と朗読は素晴らしかった。「たけくらべ」の朗読、特に喧嘩における会話場面の息遣いはさすが女優さんw聴いている人を惹きつける感情の躍動があった。ポーランドの研究者の方も言っていたように陽気な子供たちと厳しい現実(遊郭)を描く「たけくらべ」の構造は現代も何も変わっていない。シングルマザー。下層とエリート。

いろいろな時空が同時に描かれる、池澤さんはそれを映画的だと言う。引きと寄せを自在に使い熟すことによって、まるでその場所に読者自身が立って眺めているような演出をする。その臨場感は「三四郎」「青年」には無い。わずか15年しか隔ていないのに、こんなにも文体が異なることもまた面白い。川上さんは文体について語る。文体とは細かい一人称の区別や句読点の位置や数などではなく始まりから終わりまでその全体のリズム明暗コンポジションなのである。全体を読みきった時に感じるそのリズムこそが作家の文体であり「たけくらべ」の冒頭と終末の明暗の異なりこそが樋口一葉の文体なのである。

一部の興奮冷めやらぬまま池澤さんの落ち着いたトーンで二部は始まる。「たけくらべ」は文体は古語でありながら、印象は超モダンであり、映画的なアングルを(アンナ・カレーニナと同様に)先取りしていること。三四郎と青年については、三四郎は熊本から上京する田舎者の憧れを描いた都会小説。自然主義私小説とある種のドラマティックさの狭間で書かれた森鴎外「青年」はいかにもドイツの教養小説的な側面を持っていて、これも「三四郎」同様に国民文学でありながらエリートに向けられた小説である。自然主義私小説が日本で流行ってしまうこと、これがこの後の議論の一つの軸になっていく。次に紅野謙介さん。専門家には出来ない明治文学を樋口一葉夏目漱石森鴎外で見通すという大胆さ。「たけくらべ」で描かれる遊郭と下層の子供達の躍動と絶望的な社会と、それから15年後の「三四郎」「青年」で描かれるエリートの人生論。これらが混ざり合う時代としての明治。川上未映子さんの朗読から小説における「声」「語り」の重要性。また「たけくらべ」冒頭の「廻れば」が繰り返し使われること。「廻れば」「見返り」のように振り返り廻るというイメーシが多用されていること。そしてこの縁語的な言い回しは外国語には訳せない日本語独自のリズムを生みだしていること。ポーランド樋口一葉研究者によれば、異国において翻訳された状態でも「たけくらべ」の美しさは伝わるが、やはり縁語的な要素や日本の古代文学あるいは「遊郭」に対する予備知識のは抜け落ちてしまう。また「たけくらべ」には陽気な子供と逃れられない社会という悲劇的な対立が見出せる。義理と人情に顕著な悲劇的な対立構造が「たけくらべ」にも見出せる。ポーランド語への翻訳によって失われたものは日本語の韻であり、救われたものはそれでもなお国境越えて樋口一葉の文の美しさは伝わるということである。とポーランドの名前は忘れたけど、けっこう若手の女性が緊張しながらスピーチ。川上未映子さんは明治の近さ遠さについて、現代と地続きの近い印象を受ける。昭和初期にすでに「明治は遠くになりにけり」と言われた明治であっても、「たけくらべ」の遊郭や子供たちのストリート感と「三四郎」「青年」のエリート社会の二分化は現代のジェンダー観や格差の問題に直結するという。最下層とエリートという本質的には明治と何にも変わらない構造に、もっと変わってもよかったと、川上さんため息。ただ簡単には変わらないからこそ本質的な日本の問題なのかもしれない。

池澤夏樹さんは日本文学全集刊行のきっかけとして3月11日の大震災があるという。東北そしてこの島々が集まる列島に住む、われわれとは何者なのか。われわれにとってわれわれとは何者なのか。それを知るために「古事記」に始まる日本文学全集を編纂する。淡々と話しているがかなりの意気込みである。社会学者の大澤真幸さんは世界史の哲学を書くきっかけを人生が有限であることを実感し始めたからだと言っていた。限りある人生の中でこれだけは仕上げなければならないという焦りが生まれたという。僕は池澤さんの中にもそのように完成させなければならないという焦り(信念)があるのだと勝手に推測。

スピーチが一巡したところで、池澤さんが議論を展開させる。フランス生まれの自然主義文学が日本では自然主義私小説となり、ある時期に盛んになった、その原点は正岡子規の「病牀六尺」にあるのではないか。言文一致の口語体で書かれていること、病状を赤裸々に綴る点が自然主義私小説的であると。正岡子規の写生と写実こそ、作らないそのままを書くという自然主義私小説の始まりではないか。近現代文学研究者の紅野さんは一般に「病牀六尺」が読まれた時期から見ると「蒲団」や「三四郎」「青年」への直接的な関係は薄いと鮮やかに応える。なぜ自然主義私小説が日本では盛んになったのか。池澤さんの発言を受けて、紅野さんは「ライフとアートは結び付かなかったのは日本には哲学が存在しなかったからだ」と応答。明治日本においての哲学とは井上哲次郎を代表格とするような講談哲学つまり西洋哲学を翻訳し習うものであって本当の意味での哲学では到底なかった。孤独な哲学者である広田先生を除けば、日本人は人生の拠り所としての哲学を持たなかったからこそ自然主義的な私小説に救済を求めた。しかしそれは容易に太宰治は私の悩みを描いてくれる的な承認欲求の温床にもなってしまう。それは椹木野衣さんの日本の悪い場所性にもつながると川上さん一言。

池澤さんの発言が発端となった日本における自然主義私小説の流行に関する問答がこの座談の一つの軸になっていく。川上未映子さんは結局、日本人は私小説を通して自分への慰めを求めているだけなのかもしれないと嫌悪感を漏らす。告白が私小説の原点にはある。告白これが日本では「打ち明け話」。読者と作者の一種の馴れ合いになってしまう。作者と読者の距離感についても話は及ぶ。最後に池澤さんは「フィクションとは何か」について静かに語る。丸谷才一さんの文学論を引き継ぎながら語る。「フィクションは作りものだと思う。」

文学はもっと作り物だと思う。したがって自然主義私小説には距離を保つ。古代中世においては和歌がそうであってようにフィクションとは完全なる作り物であった。しかし明星派を除けば最近は俳句すらも私小説化している。池澤さんは丸谷才一さんの文学観からモダニズムを強調する。

伝統を重視しながら近代的で都会的であるモダニズムをもう一度思い出そうと池澤さんは言う。自然主義的な流れやその私小説の流行の時代は終わりかけている。そしてモダニズムの時代が来るのではないか。フィクションは完全なる作り物である。それが創作することであり、作品化することの意味である。モダニズムは伝統を引き継ぐことから始まる。この列島の伝統、つまり「われわれとは何者なのか」を考えるために池澤夏樹さんは日本文学全集を編纂する。文学に宿っているこの島々に住まう人間性を浮かび上がらせる。全集は古代神話に学びつつ都会的で近代的であろうとするモダニズムの体現でもある。質疑応答の際、池澤夏樹さんの「やっぱり三島由紀夫は短編作家である。長編で色々なことが書かれているように見えるけれど、論理的に分けていけば、何も残らない。」という刺激的な発言。また川上未映子さんにとって今回の「たけくらべ」翻訳は究極の読書体験であったことなど。これもまた面白かった。