よわいめ|ヨワイメ

同時代カルチャーをレビューするブログ

モランディ、岡田温司講演、兵庫県立美、メモ

 磨製石器のような上部の窪んだ白い板が示される。シャーラーという写真家が撮ったモランディのパレットである。わずかな濃淡を持つ白と縁部には赤と青がくすんでいる。限られた色彩とフレスコ画にも用いられる顔料の作り上げる芸術。ピカソよりも少し若いその画家は、変わり続けたピカソとは対照的に変わらない反復の中で、変わり続けた。それはドゥルーズの言うような差異と反復。眼前のモデルたちに向かいあう姿勢は決して抽象主義の現代作家ではない。メチエ的職人である。

 アトリエのテーブル上に残された無数の鉛筆線は瓶や壺の配置図であり、作品における厳密なる設計図、モデルたちへの舞台監督からの指示でもある。その中でも、最も愛されたモデルは、胸部に溝彫りのある瓶。裸のモデルは監督によって着色され、埃が堆積し、そして、画面の中で、演技稽古を受ける。その表情や身振りは自覚的に変化していく。寄り添ったり、そっぽ向いたり。配置が変わり、見る高さが変わり、影が変わり、色彩も、筆触も、塗りの厚みも、テクスチャーも変わっていく。綺麗に惹かれた輪郭線など、一本のない。演技に捧げられたわずかな差異の連続、それは一つの変奏。モランディは一度も、対象を類似的に再現しようとはしていない。反乱を起こしかねないモデルたちとの舞台稽古の連続。壺や瓶はそれぞれ個性を持ったキャラクターに見えてくる。ルネサンス期には人の影が人にかかるということは許されなかったが、カラバッジオがそれを打ち壊した。同じように、モランディもモデルの影がもう一人のモデルに降りかかっていく。どこまでが対象で、どこからが背景で、影はどこまでなのか。その境目は曖昧になっていく。おそらく光の調子を調整するために。影と光の融和から自生する曖昧さは版画にも見られる。

 光は白の変奏によって、表現される。マレーヴィッチ的な絵画の零度を宣言するための前衛的な白ではなく、ピエロやフラ・アンジェリコに見られる、白と白の描き分けからモランディは学んでいる。その主題や意味内容とは無関係に、造形的な価値を受け継ぎ、古典を敬愛した画家なのである。モランディ、ピエロ・デッラ・フランチェスカ、カラバッジオ。この三人を結ぶ美術史家がいる。造形的な評価によって、3人の画家をつないだ、ロベルト・ロンギ。古典から、特に初期ルネサンスからの伝統を造形的に受け継ぐ、モランディはモデルたちの配置を決め、彼の舞台を始める。しかし、すべてを意識下に置き、すべてをコントロールすることはできない。細かいタッチや色の厚みには、手の無意識での動き、言い換えれば、偶然性が必ず混入してしまう。この「脱自」体験を通して、彼の完璧なる舞台は私たちの眼前に示されるのだ。

 モランディの作品変遷は直線的に具象から抽象に向かったとは言えない。1930年代に画面に見られるざわめきはファシズム芸術の古典趣味に対抗するもので、1950年代の中心性はポロックを代表とするオールオーヴァーに対応するものであるというような解釈もあり得るが、モランディが同時代の美術動向に対して、闘争的であったかについては断定できないだろう。闘争的にではないにせよ、ボローニャという大学都市で、多くの美術史家批評家、芸術家と交流のあったモランディは、美術動向をよく把握していた。そのために、彼の静物画におけるオブジェの選択はかなり自覚的かつ計画的に行われていたのだろう。見た目の堅牢さと厳密なる設計によるモデルの配置からは建築のメタファーで説明されることもあるが、よく目を凝らせば、どんな作品も、常に、その細部において揺れ動いている。その不定形さはどこからくるのか。モランディが18歳の時に経験する父の突然の死は彼の芸術家人生に大きくのしかかっている。大いなるものの喪失は、若いモランディにパリ行きを断念させ、20世紀の他の前衛芸術家とはまるで異なった人生を歩ませることになった。喪失をする前に、今度は自ら、無駄なものを切り捨てる、喪の作業。

 

「たけくらべ」朗読

東大本郷での日本文学全集出版記念の講演会 http://t.co/iyMRoaxTfL に行った。川上未映子さん人気なのか男性はもちろん女性も半々ぐらいで大学生から結構なご老人(後に割と厄介)まで、、、面白い空間でした。 1部の川上さんの「たけくらべ」秘話と朗読は素晴らしかった。「たけくらべ」の朗読、特に喧嘩における会話場面の息遣いはさすが女優さんw聴いている人を惹きつける感情の躍動があった。ポーランドの研究者の方も言っていたように陽気な子供たちと厳しい現実(遊郭)を描く「たけくらべ」の構造は現代も何も変わっていない。シングルマザー。下層とエリート。

いろいろな時空が同時に描かれる、池澤さんはそれを映画的だと言う。引きと寄せを自在に使い熟すことによって、まるでその場所に読者自身が立って眺めているような演出をする。その臨場感は「三四郎」「青年」には無い。わずか15年しか隔ていないのに、こんなにも文体が異なることもまた面白い。川上さんは文体について語る。文体とは細かい一人称の区別や句読点の位置や数などではなく始まりから終わりまでその全体のリズム明暗コンポジションなのである。全体を読みきった時に感じるそのリズムこそが作家の文体であり「たけくらべ」の冒頭と終末の明暗の異なりこそが樋口一葉の文体なのである。

一部の興奮冷めやらぬまま池澤さんの落ち着いたトーンで二部は始まる。「たけくらべ」は文体は古語でありながら、印象は超モダンであり、映画的なアングルを(アンナ・カレーニナと同様に)先取りしていること。三四郎と青年については、三四郎は熊本から上京する田舎者の憧れを描いた都会小説。自然主義私小説とある種のドラマティックさの狭間で書かれた森鴎外「青年」はいかにもドイツの教養小説的な側面を持っていて、これも「三四郎」同様に国民文学でありながらエリートに向けられた小説である。自然主義私小説が日本で流行ってしまうこと、これがこの後の議論の一つの軸になっていく。次に紅野謙介さん。専門家には出来ない明治文学を樋口一葉夏目漱石森鴎外で見通すという大胆さ。「たけくらべ」で描かれる遊郭と下層の子供達の躍動と絶望的な社会と、それから15年後の「三四郎」「青年」で描かれるエリートの人生論。これらが混ざり合う時代としての明治。川上未映子さんの朗読から小説における「声」「語り」の重要性。また「たけくらべ」冒頭の「廻れば」が繰り返し使われること。「廻れば」「見返り」のように振り返り廻るというイメーシが多用されていること。そしてこの縁語的な言い回しは外国語には訳せない日本語独自のリズムを生みだしていること。ポーランド樋口一葉研究者によれば、異国において翻訳された状態でも「たけくらべ」の美しさは伝わるが、やはり縁語的な要素や日本の古代文学あるいは「遊郭」に対する予備知識のは抜け落ちてしまう。また「たけくらべ」には陽気な子供と逃れられない社会という悲劇的な対立が見出せる。義理と人情に顕著な悲劇的な対立構造が「たけくらべ」にも見出せる。ポーランド語への翻訳によって失われたものは日本語の韻であり、救われたものはそれでもなお国境越えて樋口一葉の文の美しさは伝わるということである。とポーランドの名前は忘れたけど、けっこう若手の女性が緊張しながらスピーチ。川上未映子さんは明治の近さ遠さについて、現代と地続きの近い印象を受ける。昭和初期にすでに「明治は遠くになりにけり」と言われた明治であっても、「たけくらべ」の遊郭や子供たちのストリート感と「三四郎」「青年」のエリート社会の二分化は現代のジェンダー観や格差の問題に直結するという。最下層とエリートという本質的には明治と何にも変わらない構造に、もっと変わってもよかったと、川上さんため息。ただ簡単には変わらないからこそ本質的な日本の問題なのかもしれない。

池澤夏樹さんは日本文学全集刊行のきっかけとして3月11日の大震災があるという。東北そしてこの島々が集まる列島に住む、われわれとは何者なのか。われわれにとってわれわれとは何者なのか。それを知るために「古事記」に始まる日本文学全集を編纂する。淡々と話しているがかなりの意気込みである。社会学者の大澤真幸さんは世界史の哲学を書くきっかけを人生が有限であることを実感し始めたからだと言っていた。限りある人生の中でこれだけは仕上げなければならないという焦りが生まれたという。僕は池澤さんの中にもそのように完成させなければならないという焦り(信念)があるのだと勝手に推測。

スピーチが一巡したところで、池澤さんが議論を展開させる。フランス生まれの自然主義文学が日本では自然主義私小説となり、ある時期に盛んになった、その原点は正岡子規の「病牀六尺」にあるのではないか。言文一致の口語体で書かれていること、病状を赤裸々に綴る点が自然主義私小説的であると。正岡子規の写生と写実こそ、作らないそのままを書くという自然主義私小説の始まりではないか。近現代文学研究者の紅野さんは一般に「病牀六尺」が読まれた時期から見ると「蒲団」や「三四郎」「青年」への直接的な関係は薄いと鮮やかに応える。なぜ自然主義私小説が日本では盛んになったのか。池澤さんの発言を受けて、紅野さんは「ライフとアートは結び付かなかったのは日本には哲学が存在しなかったからだ」と応答。明治日本においての哲学とは井上哲次郎を代表格とするような講談哲学つまり西洋哲学を翻訳し習うものであって本当の意味での哲学では到底なかった。孤独な哲学者である広田先生を除けば、日本人は人生の拠り所としての哲学を持たなかったからこそ自然主義的な私小説に救済を求めた。しかしそれは容易に太宰治は私の悩みを描いてくれる的な承認欲求の温床にもなってしまう。それは椹木野衣さんの日本の悪い場所性にもつながると川上さん一言。

池澤さんの発言が発端となった日本における自然主義私小説の流行に関する問答がこの座談の一つの軸になっていく。川上未映子さんは結局、日本人は私小説を通して自分への慰めを求めているだけなのかもしれないと嫌悪感を漏らす。告白が私小説の原点にはある。告白これが日本では「打ち明け話」。読者と作者の一種の馴れ合いになってしまう。作者と読者の距離感についても話は及ぶ。最後に池澤さんは「フィクションとは何か」について静かに語る。丸谷才一さんの文学論を引き継ぎながら語る。「フィクションは作りものだと思う。」

文学はもっと作り物だと思う。したがって自然主義私小説には距離を保つ。古代中世においては和歌がそうであってようにフィクションとは完全なる作り物であった。しかし明星派を除けば最近は俳句すらも私小説化している。池澤さんは丸谷才一さんの文学観からモダニズムを強調する。

伝統を重視しながら近代的で都会的であるモダニズムをもう一度思い出そうと池澤さんは言う。自然主義的な流れやその私小説の流行の時代は終わりかけている。そしてモダニズムの時代が来るのではないか。フィクションは完全なる作り物である。それが創作することであり、作品化することの意味である。モダニズムは伝統を引き継ぐことから始まる。この列島の伝統、つまり「われわれとは何者なのか」を考えるために池澤夏樹さんは日本文学全集を編纂する。文学に宿っているこの島々に住まう人間性を浮かび上がらせる。全集は古代神話に学びつつ都会的で近代的であろうとするモダニズムの体現でもある。質疑応答の際、池澤夏樹さんの「やっぱり三島由紀夫は短編作家である。長編で色々なことが書かれているように見えるけれど、論理的に分けていけば、何も残らない。」という刺激的な発言。また川上未映子さんにとって今回の「たけくらべ」翻訳は究極の読書体験であったことなど。これもまた面白かった。